コラム ア・ラ・カルト
2010.8.19UP

「隣近所に心配りを」

柴田範子(特定非営利活動法人・楽 理事長)

東洋大学ライフデザイン学科教員。NPO法人「楽」理事長。また、06年6月からは日本介護福祉士会副会長も務める。共著に「訪問介護スキルアップ」(日経BP社)、「ホームヘルパーに学ぶ ひとり分でもおいしいお年寄り家庭料理帳」(中央法規)監修に「訪問介護養成研修テキストブック(2級)」 (ミネルヴァ書房)などがある。 また月刊誌『介護ビジョン』(日本医療企画)、『月刊ケアマネジメント』(環境新聞社)等での連載も経験有り。

 高齢者の所在確認ができない事例が多いことが明らかになってきた。また、大阪市のマンションに幼児が置き去りにされ遺体で発見された事件など、これまで何度か感じていた家族関係の繋がりの弱さ、人に関心をもたない、持ってほしくないという大きな課題を抱えた日本の地域社会の弱さが明らかになってきた。何かの形で人のかかわりや相談が必要な人にとって、個人情報保護等の法律が厚い盾になっているように思えることがある。都心部であればあるほど、人が住む家が閉ざされた環境になっていて、個人主義のマイナス面が大切な命の喪失にまで及んでいる。地域で長く活動し頑張っている民生委員でさえ、新しいマンション等に移り住む方々の把握は難しくし、何か問題が生じないとわからないと悩んでいる。

 私が介護事業をしている都心部や再開発地域は、そこに住みたいと思う方々のニーズを汲み、マンションが急ピッチで建設され立ち並ぶ。新たに地域の住民になる方々が増え、地域の中は人の動きが活発になる。しかし、これまで住んでいた方々と新たに住人になった方々の交流は殆ど持てていない地域が都心部ほど問題だと聞く。新住民の多くは関係性を持つことを好まず、高層のマンションを選んでいるという話も聞く。最近まではどこの地域でも町内会があり、そこで順番に役割が回ってきたり、長く続いているその町内の行事を継続してきたものである。お互いが顔を見合わせて語る良い機会になり、その地域に対する愛着心のようなものが生まれてきていたのではないか。基礎には、コミュニケーションがあった。少しずつ、これらの問題の根っこを小さくしていかないと、今回の社会問題が何ら解決しないうちに、同じような問題が続いて起きる気がするのである。お互いが関心を持ちづらくなってきた、関心をもってほしくない世の中とは、そういうことが予測できるのではないか。

 もう一度、お互いがお互いを気にかける地域に作りかえられないものか。言葉を掛けることが最短にできることかもしれない。


 我が家の道路を挟んだ向いの家に住む63歳の男性〔A氏〕が亡くなっていた。死後2週間くらい経過。身近にあるはずがないと思っていたことが起きた。14,5年前から、その男性の両親の介護や入院等の手続き、日々の暮らしへの気配り等、近所が協力しあって支えてきた。ご主人が軽度認知症をもちはじめた頃、奥さんが体調を崩し入院を余儀なくされた。同じ班の方々は勤めをしている者が多かったため、24時間の暮らしを支えることは近隣として難しかったので、ショートスティ、入院の手続きを少しずつ手分けして行った。ご主人の葬儀のために親せきとの連絡、残された奥さんの支援も続けてきた。長く外国で暮らしていたA氏が帰ってきてお母さんと暮らし始めると、さすがに、近所はお母さんのことは心配でもお節介ができなくなった。ただ、ホームヘルパーさんだけは頼んだ方がいいと何度か念を押し話すと対応はしてくれた。しかし、かかわらなくなった私たちにはお母さんの体力の低下する様が短期間に見え始めた。「息子が戻ってきてくれて助かっているのよ」と語る言葉とは裏腹に、衣服や整容にも気をつかえなくなっている。お母さんが大変そうに家の前の掃除をしている時は、近所は見ていられず手を貸した。A氏と暮らし始め1年ほどでお母さんは旅だった。A氏は精一杯身辺の片付けをしたようだが、それ以降、人との関係をぷっつりと切った。あれから2年、遅くタクシーで帰ってくる姿を見たり、酒を抱えて戻ってくる姿を見ているが、子供のころから親しくしていた隣家のご主人に対しても挨拶はない。外からは見えづらいポストの新聞が山となっていることを不思議に思った配達員が、近所に聞いてきた。近隣は警察や親族への連絡。親族との関係も薄れ、動いてもらえるまでに時間がかかった。この暑い中、A氏は日々何を考え暮らしていたのだろう。警察が呼んでくれた車の担当者は淡々と作業を進め、亡くなったA氏をその車に乗せて去った。私たちは、ただ、手を合わせ車が見えなくなるまで見送ることしかできなかった。1人暮らしの高齢者でもない方への関わり方の難しさを感じている。


 介護事業をしていると、近隣と殆ど付き合いのない家庭があることに気づく。元気なころはそうではなかったろうにと思うのだが。介護事業を利用していたB子さんの主介護者である夫が体調が悪いと訴え入院。末期癌であることがわかり入院先で間もなく亡くなった。軽度の認知症を持ちながら、介護によって硬くなっていた膝や足首を使って一歩ずつ歩けるようになってきたB子さん。私たちが関わる前に入院していた期間はベッド上から降りることもなく、おむつを交換してもらうことが当たり前になっていたようだ。ようやく、一部介助するとベッドから降り、傍にあるポータブルトイレに座り排泄ができるようになった。自宅のトイレにも行きたいねと望みを話していたし、叶えられるように努力してきた。

 夫が亡くなったことによるB子さんの心理状態を懸念するより、アパートの同じ棟に住む方々からは火事になったらどうするのか、地震が来た時、誰が助けるのかという不安ばかりを民生委員のところに訴えに来たと言う。一部、医療関係者の中にも夜間の誤嚥が心配と言う声まで聞こえてきた。B子さんは「ここで暮らしたい」と私たちに望みを伝えていたが、一緒に暮さない親族等は、その周囲の言葉に次の行動は影響され、施設をあの手この手を使い探し始めた。人を支える要にもならなければならない地域包括支援センターもB子さんを支援する立場ではないと思われる行動を取った。

 認知症を持った方の願いが本当の願いかと問われることがある。B子さん自身、私たちに伝えた言葉を忘れることはあるかもしれない。なぜ、B子さんは「ここで暮らしたい」と発言したのかについて、私たちはおおきな理由があると思っている。夫婦2人で35年、このアパートに暮らし近隣は知り合いも多い。民生委員さんでさえ「私よりもこの地域のことは良く知っていたし、長く暮らしているのよ」と語っていた。

 1人暮らし高齢者は今後急増する。そして、認知症を持つ方も増加の傾向にある。介護事業をしている狭い地域には65歳以上の100名以上が暮らしている。地域で何かできるのか、支えるための知恵を出し合わないと“1人暮らしが難しいね”と思われる人は、言葉は悪いが“地域から排除する”ことになる。


 お互いが隣近所に少しだけ関心を持つ。何か出来ることを少しだけ力を貸す。目を配る、心を配る。そんな環境が作れないものなのだろうかと読んでおられる方々に投げかけさせてもらいたい。


 施設が足りないと市民の声が大きいからと言って、行政や議員は「施設を作らないと」と行動する。施設で暮らすお年寄りのスペースに約1000万円かかる。一方で、地域には空き家や活用できる場はある。地域が地域の役割を果たさなくなってきている様子が見えてきた。

 小さな介護事業をしていて、限界と力不足を感じている。関心を持てない社会は地域関係を作るのは難しい。気づいたら人が亡くなっていた。あちらでも、こちらでも。地域が考える危ない人は施設に。相互に助け合う社会は遠い昔の死語になってしまうのだろうか。


2010.7.12UP

「増税が遠のくのは本当によいこと?」

山口聡(日本経済新聞社 編集委員)

1987年日本経済新聞社入社。東京都庁担当、長野支局勤務などを経て、東京本社経済部で厚生省・厚生労働省を長く担当。2004年から生活経済部の編集委員として、日曜日の新聞などで社会保障問題を執筆中。

 7月11日は参議院議員選挙。この原稿を書いているのはその数日前。マスコミの事前調査では民主党は苦戦しており、与党は参院で過半数に届かないのではと見られています。菅直人首相が消費税増税に触れたことが苦戦の原因のようです。もし事前調査の結果通りになれば、しばらく増税は本格的に議論できない環境になるでしょう。それどころか、衆議院と参議院のねじれの影響で法律も成立しにくくなり、さらには政党の再編騒ぎなどで混乱が続きそうです。

 さて、これは国民にとってよい結果なのでしょうか。(もし事前予想通りの結果でなかったらごめんなさい。また、特に民主党を応援しているわけでもありませんので、あしからず)増税を言い出すような政党や政治家を懲らしめることは、本当にわたしたちの幸せにつながるのでしょうか。
 

〜高齢化社会にお金はかかる〜

 日本は高齢化が進んでいる割には、またその経済力の割には社会保障にカネをかけていない国であることはこれまで、このコラムでも説明してきました。そのため、救急患者を受け入れてくれる病院がなかなか見つからなかったり、必要な介護が受けられなかったりということが全国各地で起こっています。今はまだまだ不十分な子育て支援対策を拡充するにも、個室の特別養護老人ホームをもっと整備するにもカネがかかります。

 借金しておカネを調達せよとの声もありますが、日本はすでに借金まみれ。これ以上、国債を出せば、将来世代の重荷になるばかりでなく、ギリシャのような財政破たん国家にもなりかねません。要するに新たな財源をみつけないといけないのです。一番オーソドックスな手法は増税ということになります。安易に海外と比べるなというお叱りもあるかと思いますが、欧州諸国の基本となる消費税率(付加価値税率)は20%前後が主流となりつつあります。日本はまだ5%です。

 政府の無駄をなくせば財源は出てくるともいわれますが、政府の無駄撲滅を大上段に掲げた民主党政権になっても、今のところ大きな成果は見えていません。同党がだらしないという面もあるのかもしれませんし、無駄の排除は常に進めてもらいたいものですが、無駄をなくして大金をつくることはやはり難しいのではないでしょうか。
 

〜自己責任だけの社会にしないために〜

 菅首相の一連の増税発言に対しては、「増税したものをどう使うのかがわからない」などのもっともな批判があることも確かです。しかし、そうであるなら、本格的な議論を始めるべきでしょう。現状のままの先にあるのは、国の社会保障制度があまり機能しなくなり、国民の自己責任や自助ばかりが強調される社会である可能性があります。そうなっても大丈夫なのは国民全体からするとほんの一握りのお金持ちだけではないでしょうか。

 どれだけ増税して、どこに使うのか。どういう風に使うのが最も効率的なのか。多くの国民の幸せにつながる前向きな議論ができる環境をつくっていかなければなりません。


2010.6.24UP

「あなたは、特養4人部屋を受け入れますか?」

柴田範子(特定非営利活動法人・楽 理事長)

東洋大学ライフデザイン学科教員。NPO法人「楽」理事長。また、06年6月からは日本介護福祉士会副会長も務める。共著に「訪問介護スキルアップ」(日経BP社)、「ホームヘルパーに学ぶ ひとり分でもおいしいお年寄り家庭料理帳」(中央法規)監修に「訪問介護養成研修テキストブック(2級)」 (ミネルヴァ書房)などがある。 また月刊誌『介護ビジョン』(日本医療企画)、『月刊ケアマネジメント』(環境新聞社)等での連載も経験有り。

 私はある雑誌の6月号に、特別養護老人ホームの4人部屋について自分の考えを載せてもらった。私は介護事業をしていて、当たり前の感覚、自分だったらどう思うかと問いかけることを習慣づけている。私は他者の介護を必要とした場合でも、できたら施設入所は避けたい。自分の家があるのだったら、その家で自分自身の最大の力を発揮し、できないところや体調が思わしくない時等、他者の協力を得る。馴染んだ環境で過ごすことは最後のその時まで続けたいと思う。

 特別養護老人ホーム4人部屋については、21年度介護保険制度改定時に介護老人福祉施設関係の国会議員から、「4人部屋を復活させたら、特別養護老人ホーム42万人待機は解消する」等と言うメッセージが出された経緯があったことを知っているだろうか。

 今、都県市レベルでも類似した考え方が出されるようになり、先日、埼玉県の知事は記者会見の中で次のようなコメントをしている。
 


「特別養護老人ホームについて」

 読売新聞の記者が「先日9都県市で特養ホームの多床室ユニットを認めるよう国に要望されました。社会保障審議会の大森教授がさいたま市での講演の中で、合築は負の財産になると厳しく批判していました。こうした批判に対してどのように考えますか」と質問した。

 その質問に対し知事は

 「現場を知らない人の批判じゃないですか。関東知事会でも、基本的にユニット型と、言わば単床型と複数型と両方必要だろうという考え方で合意をしましたし、だいたい規格を立ててる厚労省の40代前半ぐらいの課長補佐クラスの人たちが、自分を中心に考えて規格を立ててますから。『私は4人部屋よりも一人部屋のほうがいいな』と『こっちの方が人間らしいね』と。そりゃそうでしょうと。まだ40代の時にはそうでしょうと。友達もたくさんいるし、時には一人になって読書でもゆっくりしたいし、しっかり個人の好みのテレビも見たいと。大部屋ではそんな事ができないと。ゆえにユニット型、単床型の方がより人間らしいと。そんなふうに考えて、そういうことを全国に普及させようと。

 これは善意は善意ですけれども、現実は違うと。やはり年金生活者で、ユニット型に入るには10万以上の支払いが毎月必要になってくると。7万しか年金もらってないのにどうして10万円のところに入れるかと。そうすると5万や6万ぐらいの4人部屋とかっていうのに入らざるをえない人たちもいると。そういう人たちの所得を上げるのが先決だなんていうようなこと、あるいはそういう人たちの足りない分は市町村が、あるいは県が自治体が補助金出しなさいなんていうような、それこそ無責任な話で。

 (中略)現実を知らなすぎますよ、それは。でもユニット型がより人間的だとばっかりも言えないところもあるんですね。相部屋が好きだと言う人もいらっしゃるんです。話ができるとか、寂しいとか。そういう方もいらっしゃるんです、お金だけの問題じゃなくて。多くはお金の問題です、残念ながら。しかし、やっぱり現実に蓄えのたくさんある方と蓄えの少ない方、たくさんの年金をもらう方と、極めて少ない年金しかない方。これはもう本当に多種多様ですので、いろんなレベルが混在するのは、現実的にやむを得ないのかなと私は思っています。

 問題は相部屋だから息苦しいということじゃなくて、それ以外に一人で楽しむような空間があるのかないのかとか、総合的に特養の中で考えていくべきでしょうし、ユニット型だってみんなが集まるような場所もあるんですね、当然。寂しいですから。そういうものをうまく併用すれば、マイナスをプラスに変えることも可能だと思いますし、何がなんでもユニット型でないと駄目だと言うこと自体が、あんまり人間的じゃないというふうに思います。

 また、お金が足りない人には、全部自治体が補助金出せと言って、何か子ども手当と同じような世界になってしまいます。一生懸命働いて貯金をした人が、より高額な特養に入り、いい加減にやってた人が、たまたま相部屋に入っていると。相部屋可愛そうだからみんな豪華な特養に入れろと。補助金出せなんて言っているのは、これは不謹慎な話でしょう、誰が考えても。だから何でそんなこと言ってらっしゃるのか私も分からないのですが、ちょっとニュアンスも違うのかもしれませんが、なかなか地方自治体が補助金でカバーするというような話っていうのは、今の地方自治体の財政状況からも理想論を言っておられるような気もしますね」と発言。


 

 納得できる個所もある一方で、発言内容の一部に差別の何物でもない嫌悪感を感じる。多くの方々が危機感を募らせている。大型の施設はやはり生活の場とは言えない。生活の場は、これまで暮らしてきた環境により近くあるべき。できることなら、これまで暮らしてきた場所で、様々な支援を受けながら暮らせることが当たり前の暮らしなのではないかと考えるのだが。

 日本はこれから超高齢者社会。なぜ、戦後の時代を立て直してきた高齢者が人生の終盤に、生活環境の違う場で、全くの見ず知らずの人と同室に暮らさなければならないのか。環境になじむだけで精神的負担が大きい筈である。大切な存在として高齢者の方々のこれからを真剣に考えなければならない時のように思う。若い世代が、現役の人間が行っていることを見ている。きっと、この状況が続いたら、団塊の世代だって4人部屋を受けいれなければならなくなる。皆さんはどの様に思っているだろうか。


2010.6.21UP

「子どもが主人公」(チルドレン・ファースト)をめざして

杉山 千佳(子育て環境研究所代表、大正大学客員教授)

専業主婦での子育てを経て、育児雑誌ライターになる。2001年から子育て支援NPOの全国ネットワークをつくりつつ、厚生労働省社会保障審議会年金部会などで、「女性と年金」や「少子化と年金」について積極的に発言。受け身の支援ではなく、当事者が「自信と尊厳」を手にする支援のあり方を模索中。

「子ども手当」で得をするのは誰?

 去る6月8日、菅内閣が発足しました。それまでの鳩山内閣の閉塞感は首相が変わったことで、なんとなく「霧が晴れた」感じにはなりましたが、「これ以上、がっかりしたくないな」という気持ちと「何もしないまま、選挙に突入かあ・・・(選びようがないな)」という気分で様子を見ています。

 懸案だった「子ども手当」は、菅総理自身も「満額支給は断念。保育サービスなどの現物給付に回す(6月12日)」と発言されたようで、月2万6千円支給はどうやらなくなりそうです。合わせて、朝日新聞の世論調査では「満額支給でなくていい」と回答した人は72%だったようで(6月14日)、その発表のあまりの「タイミングのよさ」に、苦笑してしまいました。

 「何が何でも満額給付って言ってたじゃん。あれはなんだったの?」と思いますし、ネットで「子ども手当」を検索すると出てくるのは、関連企業の株価予想のページです。実際に子ども手当が支給されるようになって一番動きが活発なのはスーパーや子ども服関連企業でした。「なるほど、子ども手当が支給されて得するのは、そこだったのね。みんな本当に我が国の子どものことを考えてくれていたのかな?」と思ってしまいました。
 

「少子化対策」と言わなくなった

 「子ども手当」ほどのインパクトもなくて、誰も注目していないのですが、民主党の政権になったことで変わったこととしてわたしがひそかに注目しているのが、「少子化対策」という言葉の扱いについてです。

 内閣府が毎年出している「少子化社会白書」の名前が今年5月に出された白書から「子ども・子育て白書」と改められました。それによると、これまでの「少子化対策」から「子ども・子育て支援」へと視点を移し、子育てをする親や子どもたちなどの当事者の目線で、個人が希望を普通にかなえられるような教育・就労・生活の環境を社会全体で整備していくという観点から、名称を改めたということがわかります。そして、社会全体で子どもと子育てを応援していくという「子どもが主人公」(チルドレン・ファースト)と、「男女共同参画」、「仕事と生活の調和(ワーク・ライフ・バランス)」、「子ども・若者育成支援」のそれぞれの施策と密接な連携を図るという観点で、政策を展開していくのだよということが謳われています。

   

チルドレン・ファースト

 「子ども・子育て」への名称の変更に、「ああ、すっきりした!」とうれしくなりました。これまで「少子化対策」「次世代育成支援」などと呼んできたため、どうしても取り組む内容が総花的になり、「子どもの数を増やすため」に結婚しない若者の心配から若者の就業支援、都心の住宅問題、若者のいない過疎地域の経済発展の心配まで、なんでもかんでもが「少子化対策」に詰め込まれていた印象がありました。それが、「子ども・子育て」、もっと言ってしまえば「チルドレン・ファースト」になったことで、とてもクリアになったと、思っています。
 

「子ども・子育てビジョン」の問題点

 さて、このように「チルドレン・ファースト」に視点を当てた時、はたして「ワーク・ライフ・バランス」や「男女共同参画」は、「子ども・子育て」の対象になるのでしょうか?

 わたしは「否」と思います。正直言って「ワーク・ライフ・バランス」の考え方をどれだけ紹介したところで(内閣府HP)、公費の無駄。これは明らかに労働問題なのです。ライフにまで政府が言及するのは、おせっかいの感もあります。

 急ぐべきは働き過ぎを助長し、「ワーキングプア」を生んでいる日本人の雇用慣行をどう見直すかについてなのです。先日、長年労働問題に取り組んでこられた熊沢誠さんの『働きすぎに斃れて』(岩波書店)を読んだことで、その印象をさらに強く持ちました。

 一方、白書の発行と前後して政府は「子ども・子育てビジョン」を策定し、4月末には「子ども・子育て新システムの基本的方向」を打ち出しました。内容を見てみると、「チルドレン・ファースト」と言う割に、「子ども」のことよりも「子育てしている親」の支援にばかり目がいっている感がぬぐえません。何より、肝心の「教育」の議論がすっぽりと抜け落ちているのが気になります。

 日本という国はこの国で生まれた子どもたちをどんなふうに育ててゆきたいと思っているのか、という理念、あるいは「願い」を知りたいと思います。それは、出生〜小学校入学前と入学後でぶっつりと切れてしまうようなものではなく、子どもが生まれて、少なくとも高校卒業ぐらいまでは見越してほしいのです。

 そして、それを実現するために、どのような政策をとり、制度を組み立てていくのか。実現するために必要なお金や人、ものなど必要な資源をどう用立てていくつもりなのか、具体的な方針を見たいと思います。
 

総論から各論へ。「女」と「子ども」を切りはなす

 一方の重要な問題である両親の働きかた(と子どもの預け先)については、別のところで考えてほしいと思います。

 子育ては「母子」でくくって語られやすい世界です。心理学など専門的領域においては、「母性」は重要な意味を持っているのも知っています。しかし、制度や法律など社会的な分野ではそろそろ「男女共同参画」などと言わなくても、男女共同参画が自然になされる状況になってもいい頃でしょう。若い人の間では男性の子育てがだいぶ自然なことになってきていると思います。

 それをさらに推し進めるのは、ムードづくりではなく、具体的な対策です。男性・女性すべての人の働きかたの見直し。それを進めることで、子育て環境においても、「母子」や「女子ども」がくくりがなくなっていくのではないでしょうか。

 菅総理大臣も就任演説で、「総論の段階から各論の段階に進む時が来ています」とおっしゃっていました(地域主権の文脈でしたが)。キーワードは「実効性」だと思います。世界各地で「財政再建」が叫ばれ、日本とて同様です。議論は出尽くしています。ともかくぶれのない明確なビジョンを示し、できるところから一刻も早く始めてほしい。子どもはあっという間に大人になってしまいます。5年後、10年後では間に合わないのです。そんな思いで今回の選挙をみています。
 

 わたしのブログで『働きすぎに斃れて』について紹介しています。


2010.5.24UP

「高額な医療費、どう賄う?」

山口聡(日本経済新聞社 編集委員)

1987年日本経済新聞社入社。東京都庁担当、長野支局勤務などを経て、東京本社経済部で厚生省・厚生労働省を長く担当。2004年から生活経済部の編集委員として、日曜日の新聞などで社会保障問題を執筆中。

 医療費が高額になったとき、この費用をどう賄えばよいかという問題が最近注目されています。

 日本では基本的にすべての国民が公的な医療保険制度に加入しているはずです。健康保険や国民健康保険です。これらの保険証を持って病院に行けば、現役世代の患者ならかかった医療費の3割を払うだけで済みます。残りは公的保険から支払われます。しかし、もともとかかった医療費が数十万円も数百万円もしたら、3割といっても重い負担になります。また、高額な医療費が何か月も続くと、これも大変です。

 こんなときのために「高額療養費」という制度があります。1カ月当たりの患者負担に上限を設ける制度です。これによって一般的には1カ月当たりの患者自己負担は8万円程度までに抑えられます。1年のうちに高額療養費の対象となるような医療費がかかる月が4カ月以上あれば、4カ月目からは上限が下がる仕組みなども用意されています。

 これらの仕組みがあれば大丈夫のような気もしますが、実はそうでもなくなってきているのです。一つの理由は景気の低迷です。景気悪化で私たちの収入はこのところ減る傾向があります。「3割負担でよい」「高額療養費制度もある」といわれても、それでも家計に重い負担となるケースが珍しくなくなってきているのです。もう一つの原因は医療技術の進歩による医療費の値上がりです。特に抗がん剤などは1錠や注射1本で数千円、数万円というものも登場しています。昔に比べれば、医療費が高額になる機会が増えているといえます。

 このような状況の変化を踏まえて、高額な医療費がかかっても、その人の収入が減っていても、安心して医療が受けられるように、政府は高額療養費のあり方を見直す検討を始めるようです。

 ではこれで一件落着かというと、そうでもないのです。理由は財源です。患者の負担を抑えるということは、その分、公的な医療保険の支出が増えるということです。公的保険は健康保険料などと税金で賄われています。支出が増えれば健康保険料や税金を引き上げないといけないかもしれないのです。

 「負担は増えても構わない。困っている人を助けるべきだ」と多くの国民が考えるなら丸く収まるのですが、それでもやはり、もう少し考えないといけないことがあります。それは、これから次々と登場するであろう高額な薬などをすべて公的保険の対象に、高額療養費の対象にしていくのかどうかです。なんでもかんでも対象にしていたら、「負担が増えても構わない」派の人でも「こんなに増えるとは思わなかった」となりかねません。

 英国では新薬が登場するとその費用対効果を計算して、公的保険の対象にするかどうかを決めています。要するに高いのにあまり効果がないといった薬は公的保険では使えないような仕組みなのです。ただ、「効果があるかどうか」「値段が高いかどうか」をどう判断するか、どこで線を引くかは難しい問題です。多くの患者にはあまり効果なくてもごく限られた患者には効果があるといった薬をどう処遇するかなど難問が出てくるのです。なにもしなくても公的な医療保険が維持できるわけではありません。つらく厳しい議論が迫られています。



2010.3.25UP

弱い立場の人たちの声に耳を傾ける

杉山 千佳(子育て環境研究所代表、大正大学客員教授)

専業主婦での子育てを経て、育児雑誌ライターになる。2001年から子育て支援NPOの全国ネットワークをつくりつつ、厚生労働省社会保障審議会年金部会などで、「女性と年金」や「少子化と年金」について積極的に発言。受け身の支援ではなく、当事者が「自信と尊厳」を手にする支援のあり方を模索中。

「弱い立場の人」はいる

 「人として尊重する」「人間の尊厳を守る」。こうした発言に反対する人は、まずいません。しかし、いまだに繰り返し声高に言われているということは、世の中はそうなってはいない、他者を尊重することや尊厳を守ることは、言葉で言うほど簡単ではない、ということなのではないかと思います。

 「人はみな平等」といったところで、昨今の「貧困」や「格差」の問題を持ち出すまでもなく不平等は存在するし、「社会的弱者」と呼ばれる人はいる、とわたしは思います。

 子育て支援の立場で言えば、子どもは間違いなく「社会的弱者」ですし、保護者の代表格である母親もしばしば「社会的弱者」の立場になることがあります。
 

元気な母親にも支援が必要

 少子化が問題視されるまでは、児童福祉行政と言えば「保育」が主流でした。近年、「子育て支援」という新しい「支援」が登場したわけですが、この「子育て支援」は「保育」ではカバー仕切れない、母親と子どもの家庭内の課題についてサポートを行っていこうといった意識で始まった活動といってもいいと思います。そのため、支援の対象が“子ども”と“母親”になることが多いようです(“父親”や“家庭”を視野に入れていく活動ももちろんあります)。

 障がい児や重い病気の子どもの家庭、外国人家庭、生活保護家庭、10代の出産育児の家庭、ひとり親等々、「まさしく」社会的な援助が必要な場合は当然ですが、そうした問題を抱えていなさそうに見える、元気な母親であっても社会的に弱い立場に置かれることは多い、とわたしは思っています。

 「立派な大人であるお母さんが『社会的弱者』になるなんておかしいじゃないか」と言われる人も多いと思いますが、妊婦期の女性は間違いなく「保護される対象」ですし、新生児の子育てに追われる母親には必要な援助がたくさんあるのです。

 妊娠期から出産、新生児の育児、乳幼児期の子育てへのプロセスがスムーズにいけば、その後がすごく楽になり、母親が「社会的弱者」と呼ばれる期間を短くすることができるでしょう。けれども現状では子どもと母親、彼らを取り巻く家庭まで視野に入れつつ、先々を見通した認識を持って支援を行う人や機関が少なすぎるため、その時々に必要な支援が提供でききれず、問題が深刻化してしまっている状況もあるように思います。
 

「子ども扱い」や「上から目線」に過敏に反応

 一方、育児中の母親で、自分が社会的に弱い立場に置かれているといった認識を持っている人はさほど多くはないと思います。そのため、経験の乏しいうっかり者の子育て支援者が猫なで声で「お母さん、赤ちゃんと一緒にお遊戯しましょうね」などと子ども扱いした物言いをしたり、未熟な保健師が「お母さん、そんなこともできないんですか」と上から目線の紋切り型の物言いをすると「カチン!」ときたり、叱られたと勘違いし、激しく落ち込んだりしてしまうのです。

 一方、そんな子育て中の母親と似たような体験を、わたしも病気で入院中にもしたと、感じました。20代の看護師に「そんなにくどくど言わなくたってわかってる」と思うようなことを何度も説明されて辟易したり(彼女は単に一生懸命なだけなのですが)、できたことができなくなり、やってもらうたびに「すみません」と何度も何度も言っている自分がどんどんと委縮していくのを感じたり、しまいには「大丈夫ですか?」と言われるだけで「放っておいてくれ!」と叫びだしたい衝動にかられるほどでした。

 こちらが慣れない立場になってしまったことで、必要以上に過敏に反応してしまっていることもあるでしょうし、「相手がそう感じてしまう」ような対応を彼ら専門家が知らず知らずのうちにしてしまっているという部分もあるのだろうと思います。
 

居心地のよい関係を築くために

 子育て支援の現場では母親を「子ども扱い」「上から目線」「支援が必要なかわいそうな人」扱いしてしまう部分があることは否めません。それは、「保育」の延長で子育て支援を始めてしまったための反省点でもあり、今後は母親や父親を社会人の一人として遇し、親として成長していくための教育的な支援や体系だったプログラムを開発していく必要があると感じています。

 また、「病院」という場をどうとらえるのがよいのか一体験者の立場では悩ましいところではありますが、病院と同じようにたくさんの人が行き来する場であるホテルや銀行窓口、ファミリーレストランなどの接客態度と比較すると、「改善の余地はありそうだ」と思いました。病気だからこそなおさら、普段よりも気持ちよく過ごせるよう、環境整備には心を配ってほしいものです。

 合わせて親や患者など子育て支援や医療、看護などのサービスを受ける側も心構えを変えるとだいぶ楽になるのではないでしょうか。「弱い立場」になったことを受け入れるのに少々時間がかかることもありますが、「今はそうなのだ」と納得することは大切です。

 そして、上手に他者からのサポートの手を握りかえすこと。「やってもらって申し訳ない」といった気持ちが出てしまって、援助を上手に受けられないのはとてももったいないことだと思いました。そして、「これをやってもらえませんか」と具体的にお願いできるようになると、やりとりはさらに実りあるものになるでしょう。
 

当事者の本当の思いを聴く

 言葉によるコミュニケーションがある程度できる場合は、相互の認識と態度を少し変化させることで、よりよいやりとりが生まれますが、子どもや言葉で意思を伝えることが難しくなってきた高齢者の場合などは、さらに高度な支援技術と体制が求められると思います。

 子どもでも高齢者でもそうですが、食事や排せつ、着替えなどの「世話」をしていれば、援助や支援をしたわけではないと思います。まさしくそうした人にこそ、いかに「人としての尊厳」を守るのか、わたしたちはいったいどのような支援やケアができるのかということを考えなければならないと思います。言葉にはできないかもしれませんが、わたしたちが言っていることは聞こえていますし、その人自身が「こうしたい」という「意思」もあるわけです。

 相手の立場に立つことを忘れ、自分がやりたいことをやって、「わたしはいいことやっている」と自己満足に浸ってしまい、その人の言葉にならない意思や思いを汲む大切さに思いも至らない支援者も多いなかで、それを実際にやりおおせることはさらに難しいことだと思います。でも、それこそが本当の「ケア」なのではないかと思います。

 「ケアするとかしないとか、支援するとかしないとか、そんなことではなく、その人がそこにいるだけでいい。それがすばらしいことなのだ。」

 たぶん、究極にはそうした境地にまで到達するのでしょう。目前の、わかりやすい目的と成果を追うだけの日常のなかでつい取りこぼしてしまう、そうした場や時間の中に、できることならば、わたしもいたいと思う昨今です。


2010.3.18UP

あなたはどんな医療・介護を受けたいですか?

柴田範子(特定非営利活動法人・楽 理事長)

東洋大学ライフデザイン学科教員。NPO法人「楽」理事長。また、06年6月からは日本介護福祉士会副会長も務める。共著に「訪問介護スキルアップ」(日経BP社)、「ホームヘルパーに学ぶ ひとり分でもおいしいお年寄り家庭料理帳」(中央法規)監修に「訪問介護養成研修テキストブック(2級)」 (ミネルヴァ書房)などがある。 また月刊誌『介護ビジョン』(日本医療企画)、『月刊ケアマネジメント』(環境新聞社)等での連載も経験有り。

 長妻昭厚生労働相は19日、2011年度末の廃止が法律で決まっている介護療養病床について「いま実態調査を詳細にしている。夏ごろまでに結果が出るので、結果を踏まえて今後の方針を決める」と述べ、計画の見直し案を夏以降に出す考えを示した。と書かれている記事を読んだ。


 この件については色々な議論がされているが、調査を進めているという委員会なのか、メンバーなのかは定かでないが、果たして、その医療を受けている当事者の方々に意見を聞く機会があるのだろうか。

 あなたはどんな医療を受けたいですか。どんな医療を受ける場がいいですかと。また、どんな日常生活を送りたいのですか、人生の最後の場をどこに求め、どのような時間を過ごしたいですかと。



 このような表を6,7年前に国は国民に示した。認知症高齢者が増え、高齢者世帯、特に1人暮らし世帯が増えることをこの表は示している。

 当然、これからの課題となるのは、1人で暮らす高齢者がどの様な生活の場を選択し、自らの最後をどのように考えるのか。考えたことに対して、国、県、市町村が施策として作り上げていくことができるのか、ということではないか。そこでぶれていけないのは、利用者を主人公と位置づけることを忘れないことだと思う。特別養護老人ホームの待機者は42万人で、その方々の部屋を準備すれば問題が解決するかのような流れで議論が終結している。私の住む川崎市でも、議会が特別養護老人ホームの4人部屋の復活を強く望み(川崎市民の代弁者ということらしいが)、地域の中で暮らし続けるという構想も持ちながら、特別養護老人ホーム作りに着手している。川崎市だけではなく、横浜も、東京も。東京など港区の一等地に2つの大型施設ができる。私は長く介護の世界で生きているが、措置の頃から本人主体のケアにしようと議論され続けていたことが頓挫。いつまで、このように介護を必要とする方々の生活の質を軽視するのか。それらの箱モノを作っている方々が、将来自分も入居すると言う考えなら良いが。そんな方は日本に何人いるのだろう。

 住まいとしては、高専賃、高優賃がいいのではないかという声をよく聞く。サービスを展開する事業者側が利益優先を第一に考えてのことではないのかと思えて仕方がない。

 私はNPO法人「楽」を立ち上げ運営を続け、今年5月で7年目になる。理念の柱にしてきたのは、地域の中で人とかかわり合いながら暮らし続けることである。それは亡くなる時までを指し、私たちが終末のその時までかかわらせていただくことになる。1人暮らしの方の最後まで在宅で暮らし続けるに挑戦する機会はまだ与えられていないが、私たちの役割なのだと考えている。これまでに3世帯、3人の認知症を抱える高齢者の終末のその場面まで数年間かかわらせてもらった。


 先日、小規模多機能型居宅介護「ひつじ雲」を利用し、亡くなる一時間半まで私たちがかかわり、最後は親族や近隣の方に囲まれて亡くなられた方(Oさん)の主介護者である娘さんに会った。久々にお会いし2人共懐かしさで手を握り合った。彼女は「1人で暮らしていますけど、全然寂しいと思うことはありません」と語ってくれました。娘としてお母様が認知症になったという自覚を持った時、介護は楽しくやろうと決意したそうです。それは自分が若いころ、整形外科に4か月入院した時の経験が生きていたとか。お母様の介護をしている場面に何度かお邪魔し、その様子を見せていただいたり、意見交換したり。その時に、彼女は「自宅で最後まで母を看たい」と言いました。「わかりました。私たちも初めてのことですが、それに添う努力をします。自宅で穏やかに過ごせるように」と固く誓いあった記憶があります。

 彼女が語っていた“私が母を看ることができた理由は3つ”。要約すると、

1. 母が大好きなこと。
2. 兄弟が「すべてあなたに任せるから」と言って本当に横から口をはさまなかったこと。こちらがSOSを出すと手伝ってくれたこと。
3. かかりつけのお医者さんと「ひつじ雲」さんがいつでも心強い支援者だったこと。

 でした。


 Oさんは「ひつじ雲」が認知症デイサービスの頃からの利用者さんでした。それ以前は、他のデイサービスを利用していたのですが、泊り機能を持たせていたことと、利用する人数が少ないこと、食事のメニューやかかわり方が本人主体であることを気に入ってくださり、娘さんが決めたそうです。小規模多機能型居宅介護「ひつじ雲」に介護サービスを変更した後も、それに賛同してくださいました。Oさんはとても穏やかな方で歌が好きでした。特に三味線が好きで職業を持っている時から、楽しみとして良く奏でていたそうです。

 職員はそのOさんに応えようと独学で三味線を奏でられるようになり、Oさんも職員たちも充実した時間を過ごせたのではないかと思います。一度、肺炎を起こし、暫く自宅療養をしました。そのころから、痰の絡みが強くなり、自宅ではかかりつけ医や訪問看護師の指導を受けながら、吸引機を使えるようになりました。ひつじ雲ではできる限り室内の湿気に配慮したり、口腔ケアの延長線上でクルリーナ等を活用し痰を取り除いたり。食事や水分が十分に取れるよう栄養士・看護師・介護職員との連携を図りました。食事時間はOさんが疲れないように、おいしく食事が取れるようにを目指してゆっくりOさんに合わせた時間を取ってきました。

 亡くなる半年前には痰の絡みがとっても強くなり、私たちとしてもOさんの苦痛の表情を見ることが辛いと感じるようになりました。痰が取れやすくなる薬を処方していただいたりもしましたが、それでは解決せず、当時はまだ、痰の吸引については問題が多くありましたが、職員に研修会に出てもらったり、かかりつけ医に相談したり、家族に了解をえたりしながら、日によっては吸引せざるを得ない時がありました。

 娘さんのお姉さんのご主人が亡くなって数週間後、姉とゆっくり過ごしたいと娘さんの希望で、Oさんは数日ひつじ雲に泊ることになりました。宿泊し2日目、職員からOさんの様子について連絡がありました。前日から水分も十分に取れない状態が続いていて、痰も取れづらく、意識がとても弱くなっているのも知れないと看て、私はかかりつけ医に電話をしました。かかりつけ医は土曜日ということもあり出かけていましたが、後に連絡があり、状況を詳細に説明させてもらいました。

 ひつじ雲に見えた医師は「今晩かもしれません。娘さんに電話で状況を説明し、戻られるように言ってください」と指示してくれました。娘さんは兄弟と共にタクシーでひつじ雲へ。「お母さん。お母さん」と穏やかに呼びかける娘さんの手はOさんの髪の毛を優しくなでていました。職員が運転し、娘さんがOさんを抱きかかえて自宅に戻りました。近所の親しくしている方にも来ていただき、かかりつけ医にも来ていただき、自宅に戻り1時間半後,Oさんは息を引き取りました。娘さんが後で語っていた言葉を、私は今でも忘れられません。「母は亡くなるその瞬間に涙を流したのです。言葉を出せない母が、ありがとうと語りたかったのではないでしょうか」と。


 娘さんは先日の食事会のお手伝いに来てくださいました。とても楽しく時間が過ごせたと仰っていました。これから、まだまだ私たちとの縁は続きそうです。


2010.2.23UP

この社会を少しでもよくしていくためには…

山口聡(日本経済新聞社 編集委員)

1987年日本経済新聞社入社。東京都庁担当、長野支局勤務などを経て、東京本社経済部で厚生省・厚生労働省を長く担当。2004年から生活経済部の編集委員として、日曜日の新聞などで社会保障問題を執筆中。

 先日、ある医学部の先生から興味深い話を聞きました。
 

地味な仕事が評価されない国

 医学系の研究に関して、日本では顕微鏡の中の世界の研究や動物を用いた研究が重視され、実際に人を対象にした研究が比較的軽視されているというのです。一般的に前者は基礎研究、後者は臨床研究といいます。「難病の治癒につながる物質を発見!」という基礎研究の方が目立ち、評価もされるが、その物質を多くの人に投与してみて、有効性や安全性を調べるといった臨床研究は地味で手間がかかる割に十分な評価の対象とはなりにくいようなのです。

 その先生は、重要なのに日本ではあまり目立たなかった臨床研究の例を挙げてくれました。それは「突然意識を失って倒れた人に対する救急措置としては何が適切か」を調べた研究でした。実際にそのような状態となり、なんらかの蘇生措置を受けた人のその後の回復状況を調べるという手間のかかる実地研究です。この研究の結果は「人工呼吸はあまり効果がなく、心臓マッサージだけで十分」というものでした。

 基礎研究が重要であることはもちろんですが、実際に人のために役立てるには臨床研究が欠かせません。両方が同じように重視されてしかるべきでしょう。私たちも、地味だけど意味のある仕事をもっと評価していく姿勢が必要なのかもしれません。
 

冷たい社会?

 この雑文、ここで終わってもよいのですが、先生の最後の一言が胸に突き刺さりました。「この研究の最も衝撃的なところは、倒れている人を見ても7割の人がなにもしなかったというところにあるのかもしれないですね」

 自分がその場に居合わせたらどうしただろうと考えます。なにもしなかった7割のうちの1人になっている可能性は十分あります。だから、この事態を第三者的に批判するようなことはできません。ただいろいろな取材を通して、私たちが他人に、他の命に無関心になっているのではと思うことが確かにあります。この国では毎日100人近い人が自ら命を絶ちます。救急車は救急患者のためにと言われても、安易な救急車の利用が減りません。救急車で運ばれてもたらい回しが起こったりもします。命が大切にされる社会、だれもが幸せに暮らせる社会とはとてもいえそうにありません。
 

私たちに出来ること

 私たちはどうすればいいのでしょうか。簡単な答えはないでしょう。ただ、このコラムを書いている者としては、社会保障の充実は一つの力にはなるのではないかと思います。社会の仕組みとして、病気の人や失業した人、介護が必要な人を助けるのが社会保障です。人は一人では目の前にいる人すら助けられないかもしれません。でもみんなで助け合うのだという気持ちを多くの人が持ち、助け合いの仕組みがきちんと機能すれば事態はもっと変わるかもしれません。もちろん、そういう仕組みをきちんと動かすには、他人を思いやる想像力だけでなく、金銭面での負担も必要になります。誰かが汗を流せばいい、誰かが負担すればいいでは済みません。

 人は一人だけでは幸せになることも、幸せを感じることも難しいはずです。「情けは人のためならず」だと改めて思います。


2010.2.2UP

「看護」の奥深さに、うっとり!!

杉山 千佳(子育て環境研究所代表、大正大学客員教授)

専業主婦での子育てを経て、育児雑誌ライターになる。2001年から子育て支援NPOの全国ネットワークをつくりつつ、厚生労働省社会保障審議会年金部会などで、「女性と年金」や「少子化と年金」について積極的に発言。受け身の支援ではなく、当事者が「自信と尊厳」を手にする支援のあり方を模索中。

 先日の入院中、看護師の仕事に興味を持った私はナイチンゲールの『看護覚え書』という本を読みました。

 ナイチンゲールといえば、看護師としてクリミア戦争で活躍したとして人として有名ですが、それ以上に偉大な功績は、クリミア戦争以後に「看護」をわたしたちの暮らしの中に根付かせようとしたこと、「看護とは何か」についてできるだけ具体的に、わかりやすく、その本質を本にまとめたこと、それらを基盤にイギリスの医療制度に「看護」をしっかりと根付かせたこと、看護師を職業として確立し、後進の育成に精力的にあたったことではないかと思っています。

 『看護覚え書』は今でも日本中の多くの看護師養成課程においてテキストとして用いられているそうです。
 

看護の知識はみんなに必要

 ナイチンゲールはその本の冒頭で、

 「身体を、いかにして病気にならないような、また病気から回復できる状態におくかといった知識は、世の中の人たちが考えている以上に重要な位置を占めています。これは誰もが持つべき知識であって、専門家のみが持ち得る医学的知識とは全く別のものなのです」と述べ、これこそが看護や衛生の知識であると言っています。

 この『看護覚え書』には、難しいことは何も書いてありません。

 患者の空気の清潔を保つために換気を怠らない、気温や患者の体温の変化に注意を払う、適度な日光の大切さ、飲料水などの水、排水はじめ住居の清潔と衛生を保つ、患者の身の回りの整理整頓、静寂の大切さ、食事、寝具類、見舞い客の心得等々について書かれてあるだけです。

 そして、これらを読みながら、二十年前、私が赤ちゃんを育てていた時、当時肌身はなさず傍に置いておいた育児書に書かれていたことによく似ているなと思いました。あの時の私は看護師でもあったのですね(ナイチンゲールは同書のなかで「すべての女性は看護婦」と言っています)。

 規則正しい生活、栄養を考えた食事、体を休める十分な睡眠、住居の衛生、安心して過ごせるゆったりした空間…新米ママは生まれたてのわが子のために、一生懸命そんな環境をつくるためにがんばりました。

 その後、子どもの成長とともに、そうした暮らしの優先度はどんどん下に下がっていったのですが。

 「あの時の教えをずっと乱さず続けていれば、病気にならずにすんだかもしれない」

 今となっては後悔先に立たずですが、そんなふうにも思うのです。
 

「愛」と「ケア」は簡単には分けられない

 入院中、看護師と接しながら、医療行為や検査などは、私たち患者の立場ではわからないこと、お任せすることも多くなりますが、身の回りの世話や生活に関わることでは患者と看護師、そして患者の家族の接点はとても多いと思いました。そして、どの病院でもそうでしょうが、私がいた病院もまた高齢化率は高く、医療と介護の境目は今後、どんどんと低くなっていくだろうと容易に想像がつきました。

 この先誰もが人生のいろいろなタイミングで病院のお世話になる、あるいは介護保険制度のお世話になる、あるいはその当事者の家族となると思うのですが、その時、どのような患者、被介護者、家族として医療や看護、介護のサービスを受けるのかも、実は結構大事なことではないかと、思うようになりました。

 よく言われることに、「愛は家族が、ケアはプロに」というのがありますが、愛情は表現してこそ伝わるわけですから、そう簡単に役割分担できるものでもないでしょう。
 

実体に合った制度づくりのためにも

 ナイチンゲールが『看護覚え書』を書いたのは1860年代のことのようです。当時からすでに150年以上が経っていますから、看護の精神や哲学は受け継ぐことができるでしょうが、看護師の仕事の内容はより高度化されているでしょうし、幾度となく大きく様変わりもしてきたと予測がつきます。加えて、介護の仕事もまた、まだできたてであるがゆえに、試行錯誤が繰り返されていると思います。

 そんな状況下で、よりよい看護、介護サービスを受けるために、専門家でない私たちが生活の中で、健康とは何か、看護とは何かを知っておくことは、専門家と出会ったときのためにもいいことです。

 それにここまで長い歴史を重ねて積み上げてきた、日本の看護の技と知識を専門家だけのものにしておくのは、もったいないことです。

 「看護」の裾野を広くし、より高いものにするためにも、専門家から一般の人まで、すべての人がそれぞれの立場で、健康のこと、看護のことにもっと関心を持つことが大切なのではないでしょうか。

 そして、そうしたまさに「現場」の実感と経験と知識と技術の上に、「制度」は成り立つべきだと思います。「先に制度ありき」で、かたちに実体を合わせるのではなく、実体に伴った制度づくりのためにも、丸腰・無知のまま「現場のお客さん」ですますのではなく、積極的に参画する者でありたいな、と思いました。


2010.1.28UP

日々の生活を楽しむ

柴田範子(特定非営利活動法人・楽 理事長)

東洋大学ライフデザイン学科教員。NPO法人「楽」理事長。また、06年6月からは日本介護福祉士会副会長も務める。共著に「訪問介護スキルアップ」(日経BP社)、「ホームヘルパーに学ぶ ひとり分でもおいしいお年寄り家庭料理帳」(中央法規)監修に「訪問介護養成研修テキストブック(2級)」 (ミネルヴァ書房)などがある。 また月刊誌『介護ビジョン』(日本医療企画)、『月刊ケアマネジメント』(環境新聞社)等での連載も経験有り。

 昨年のことになるが、ひつじ雲でボランティアをしていた高校生のお父様(S氏)から、「僕がお役にたてることがありませんかね」と言葉をかけてもらった。

 認知症デイサービスひつじ雲を小規模多機能型居宅介護に移行する少し前、やはり知り合いから「都内の有料老人ホームで入居者の方が少なく、何か活用できないかという情報があるのだが」と電話をもらった。その時、その場所が上野動物園の近くということもあって「一泊して楽しもう」と、すぐに決意し、ご家族に参加を呼び掛け、ボランティアを募集した。ご家族は認知症を抱えた家族を旅行に連れていくことなど考えたこともなかったようで、4家族が参加するという意思を表してくれた。利用者やその家族より、職員とボランティアの人数が圧倒的に多い。準備のために、有料老人ホームの支配人と話し合い、2階のフロアを借り切って、食事は少し豪華に、日中は上野の近くらしく寄席をお願いできないかと相談した。担当者は私どもが、細やかに要望を出すとは思っていなかったようで、困っている場面もあった。しかし、利用者の方やその家族にとって、楽しく、有意義であることが必須だと考えていた。決して、メニューをたくさん必要としているのではなく、質の高い時間がもてるかが大切な点であった。3月の末、春とは言ってもまだまだ肌さむい時期であったが、マイクロバスを借りプロの運転手と2日間契約し、天候にも恵まれ出発。バスの窓から見える東京タワーにご家族や職員、ボランティアが子供のようにはしゃいでいた。有料老人ホームでの昼食を終え、支配人が手配してくれた落語家の話が始まった。利用者さんは興味を持って聴くことはできなかったが、他の方々は久々の非日常を楽しんでいた。夜は広間で音楽を聞きながら踊りとは言えない踊りを楽しんだ。夜、ご家族は介護の大変さを私たちに語り始め、殆ど眠らなかったご家族、職員がいたほどであった。翌日は上野動物園、美術館に分かれ行動。集合時間だけを決め、ボランティアさんにも活動してもらい、十分に楽しむことができた一泊の旅であった。ご家族は楽しかった,是非また行きたいと言う要望があったが、日々の忙しさで旅行すると言う考えを持てずにいた。

 申し出を快く受けさせてもらい、「是非、バスハイクを実行したい」と希望を述べさせてもらった。時期は11月も中旬、職員の一部は実行が12月になることから、利用者さんが風邪をひくことを恐れた。「家族だって、時期が悪いと言ってどなたも行かれないのではないですか」と意見されたが、私の意思が固いことと、ご家族には電話で確認することをお願いした。「理事長、大誤算でした。ほとんどの家族が行きたいそうです」と管理者から連絡をもらった。明日にでも実行したい気持ちはあるが、下準備だけは細やかに細やかに進める必要がある。職員たちは責任者を決め、責任者がインターネットを駆使して“品川水族館”に決めた。バスに乗っている時間、食事をする場所の確保、トイレの場所等の確認や細かな打ち合わせを水族館の案内係と打ち合わせ。実行日の前に職員会議で再確認し合った。

 12月6日は日曜日なので家族の中には参加しやすい方々がいるはずと、混み合うかもしれない日曜日に実行日を決定した経緯がある。前日の土曜日、北風が強く、横殴りの雨が降った。明日もそうだったらと心配し、S氏に電話をすると「僕は晴れ男なんですよ。大丈夫。心配いらないですよ」と明るい。

 当日は快晴で気温も高め。マイクロバス2台とひつじ雲の送迎車が2台。総勢50名。学生ボランティアや私の研修会の受講生ボランティアも参加。ひつじ雲の利用者さんのA氏を職員が出発時間30分前に迎えに出た。家族は「起こしても起こしても駄目なんです」とあきらめ顔。職員は介護に負担を感じている家族に代わり、出かけることを進めながら体をふき、着替え、トイレで排泄を済ませ、集合場所に合流。バスに乗っていた時間はわずか40分程度であったが、家族と利用者さんとの会話がにぎやかに聞こえてきた。A氏の嬉しそうな表情もとても印象的だった。

 水族館に入る前に全員で記念写真を撮ろうとしたが、全員が一枚の写真に納まらない。結局、2枚を取って全員の記念写真の完成となった。イルカショーやマグロなど大型の魚を見るにつけ、喜びの表情があり、こちらまで笑顔に引きつけられたものである。

 

 トイレや食事への配慮を細やかに対応できていた職員の行動にはありがたいなーと思う感謝の気持ちでいっぱいであった。けがをする方もなく、無事に川崎に戻ったが「また行きたいね」の言葉を残して三々五々自宅に戻る後ろ姿が印象的であった。撮りためた写真は300枚以上。購入希望を募ったら多くのご家族からの希望があった。

 介護するということを具体的に表現すると、制度に違反することなく行っていればよいと言う考え方がある。一方で、制度を越えて、1人ひとりの利用者さんのことを考え、楽しみを求め、日々の生活の質を高めるという考え方もある。単に介護事業者と利用者さんとの関係にとどまらず、地域の協力を得てである。あるグループホームに勤めていた方が「私の勤めるグループホームの入居者さんがよく言う言葉は、ここは死ぬほどつまらない」と言うと語っていた。朝起こし食事をしたら横になる。昼ごはんと言ったらベッドから出てきて食事をする。そして、またベッドへ。何か楽しみが持てているのだろうか。

 何かができているわけではないが、小さな私どもの介護事業所は時間をかけて積み重ねてきた地域との関係性を大切にしたいと心から願っている。それは、私たちのためではなく、介護を必要としている利用者さん本人とその家族のためであり、いかに生活を豊かに過ごすことができるかが大切なことだと理解できているからである。


2009.12.16UP

入院生活から社会保障制度を見る

杉山 千佳(子育て環境研究所代表、大正大学客員教授)

専業主婦での子育てを経て、育児雑誌ライターになる。2001年から子育て支援NPOの全国ネットワークをつくりつつ、厚生労働省社会保障審議会年金部会などで、「女性と年金」や「少子化と年金」について積極的に発言。受け身の支援ではなく、当事者が「自信と尊厳」を手にする支援のあり方を模索中。

 11月に体調を崩し、無理をして実家のある福井での講演の仕事に出かけ、そのまま入院してしまいました。入院は長引き、今も都内の病院に入院中です(原稿が遅れ、ごめんなさい!)。

 4つ葉プロジェクトを立ち上げる時、「年金・介護・医療の社会保障制度に、“子ども・子育て”を加えて4つ葉にしてください!」と訴えたわたしは、社会保障制度とは切っても切れない「縁」があるのだなあ、しかも「身を持ってやるんだな」と、「とほほ」な気分です。

 そんなふうに今の自分のおかれている状況を受け止めると、つらいはずの入院生活も全く別の表情を見せ、「日々是研修!」という感じになってきます(お金も相当かかっています。中級者研修であることは間違いありません)。
 

看護師の姿に「プロ」を見た

 入院で何より驚いたのは、看護師さんたちの質の高さです。出産で入院して以後、何度か入院しているのですが、レベルがあがっていると思います。わたしの吐しゃ物を見ながら「どうして吐いちゃうんだろう?」と、無意識に食べ物チェックをする20代のナースに、「そ、そこまでしなくっていいし…」と、びっくりしたり(笑)。病院にはいろいろな患者さんが、それこそ弱さをむきだしにいるわけですが、そんな患者のわがままに感情的にもならず、丁寧に、誠実に対応する姿につくづく「プロ」を感じました。

 しかもそれは、「●●さんだからできる」といった個人の資質にとどまらず、誰もが同じレベルで同じことができるのです。「これはいったいなぜだろう?」と思ったわけですが、結局、教育と訓練に尽きるのでしょうね。

 もちろん、わたしのからだにはいっこうに触れることをせず、すべてを数値でチェックする医療のあり方だとか、「ケア」とは「看護」とは何かとつきつめていけば、まだまだいろいろなことが考えられると思いますが、「日本の医療は相当レベルが高い」と実感しました。
 

「子育て支援」はケアなのか?

 また、わたしには高校時代の友人で福井で介護NPOの代表をしている人がいるのですが(「いっしょ家」)、彼女が忙しい仕事の合間に毎日のように見舞いに来てくれ、それこそ毎晩「ケア談義」に花を咲かせました。そこで感じたのは、「まだまだ歴史は浅いとはいえ、介護は相当奥深いケアだ」ということです。

 ひるがえって、「子ども・子育て」や「子育て支援」はどうでしょう?

 「ケア」と言えるんだろうか?と自問自答し、「ケアではない」と言い切ってしまったほうが話が早い、と、思ってしまいました。もちろん、医療や介護と同じように深さと専門性を兼ね備えた「ケア」をやっている子育て支援もありますが、それはごくごく一部であり、ほとんどが素人の自己実現の域を超えてはいません。それは、教育や訓練の問題もありますし、その前提となる専門性の研究がまったくといっていいほど行われてはいない悲しい現実もあります。

 ちょっと厳しく言ってしまえば、「生まれてもいない」感じ。こんなんで、「社会保障制度に位置づけてほしい」と叫んだところで、せいぜい「子ども手当」でお茶を濁されてしまうのがオチなんだなぁーと、病床でしょんぼりしてしまいました。

 病気で元気をなくしているのかもしれません。「そんなことないよ」と思われる方がいらっしゃったら、ぜひ、わたしを励ましていただきたいと思います。とはいえ、これがいいとはまったく思っていません。子どもや子育ての問題が、年金の問題よりも下のはずがありません。「そんなもんだ」といった常識を超えて、改めて取り組んでいきたいと思っています。


2009.12.8UP

介護の仕事を志す人たちを応援したい!

柴田範子(特定非営利活動法人・楽 理事長)

東洋大学ライフデザイン学科教員。NPO法人「楽」理事長。また、06年6月からは日本介護福祉士会副会長も務める。共著に「訪問介護スキルアップ」(日経BP社)、「ホームヘルパーに学ぶ ひとり分でもおいしいお年寄り家庭料理帳」(中央法規)監修に「訪問介護養成研修テキストブック(2級)」 (ミネルヴァ書房)などがある。 また月刊誌『介護ビジョン』(日本医療企画)、『月刊ケアマネジメント』(環境新聞社)等での連載も経験有り。

 今年も残すところ一か月が過ぎた。介護関連の身近なことを振り返ると、国は何らかの理由で仕事に就けないでいる方々に介護の仕事に就いてもらうための支援をした。介護福祉士養成の専門学校で学び国家資格を取る。あるいは、ホームヘルパーの研修を受講し、2級の修了証を手にする。これらが、介護・福祉関連の仕事に就くためのきっかけになったことは明らかであるし、介護関連の教育機関の学生減少の一時的歯止めになったことも事実である。それらの教育を受け介護の仕事に就いて頑張っている方もいる一方で、新聞等には「学ぶけど仕事には就かない」と言う方も少なくないと書かれていた。得か損かを物差しにしている様が見えるような気がする。今の時代の特徴なのか。がむしゃらにでも挑戦してみようというガッツを感じる人に出会うことが少なくなったなーと感じる。そんな私は古い考えを持つ1人なのかもしれない。

 今年秋、私どもの法人は、川崎市が国の「地域雇用創造推進事業」に選抜された研修の一部を受託した。受託した学科は3コースある「福祉ものづくり学科」「福祉サービス学科」「福祉マネジメント学科」の「福祉サービス学科」である。この学科は2つのコースに分かれていて「福祉サービスコース」は介護未経験者に対して確実に就職に結びつけるための研修、「福祉リスタートコース」は介護現場から一度離れた方々に再度挑戦してもらおうという意味付けの大きい研修である。2つの研修を同時に進めるのは大変だろうと推測できたが、様々な関係者の力を借りて2つのコースを進めてみた。

 福祉サービスコースには定員100人に対して3倍近い応募があり、希望者全員に対して「川崎市地域雇用創造推進協議会」が面接をし、「コミュニケーション力があり、仕事に就くと言う就労意欲の高い人」を人選した市側から伺った。

 私どもは33名の方に対して研修を開始した。当然であるが、介護関係の研修を受講するのは初めての方々ばかり。聞きなれない用語に戸惑いが大きかったと、受講生からのリアクションペーパーに生々しく書かれている。研修内容はホームヘルパー養成研修の2級を基にしているが、180.5時間のプログラムで進められた。2級研修で不足している「認知症」関連を40時間近く組み込んでいる。講師を受けてくださった方々には、研修の目的を明らかにして、彼らの目線に立って研修を進めてほしいとお願いした。相当ハードな期間設定、内容であったということも理由に挙げられるのかもしれないが、体調を崩す受講生も1人、2人あった。一方、介護は人に向き合う仕事であり、中途半端な気持ちでは勤まらないことを理解し受講している人も少なくなかった。

 約40日間の研修期間で、受講生はチーム力を体感できたようだ。終了日前日、修了試験を行うことにしていた。受講生達から研修会場を当日の研修終了後に貸してほしいと申し出があった。その理由は、みんなで修了試験のために勉強会をしたいからというものであった。受講生達からこのような声があがったことは、私個人としてもとても嬉しく、後押ししたい気持ちでいっぱいであった。

 研修の休みの日に、就職活動に入っている受講生もいた。訪問した事業所ですぐに就職先に決めてはいないが、訪問先を多く見ることで自分が求める介護現場を決める基にしていたようだ。講義や演習で学んだことは、これまでの自分の考え方の根底を180度変えることに繋がったという受講生もいた。この研修は33人全員とは言わないが、相当数の受講生の今後の人生に影響を与えることは確実だと手ごたえを感じた。

 ある男性受講生は新聞記者のインタビューに「介護の仕事は大変な仕事だとは聞いていたが、研修を受け仕事としていく覚悟ができた」と語っている。先日、受講生から手紙をもらった。「私がこの研修で一番印象に残ったのは最初の講義“福祉理念とケアサービスの意義”でした。私は介護についてあまりに無知であったと痛感しました。講義の中で“親愛なる子供たちへ”の手紙を読んだ時、“そうなんだ。年老いて変わってしまっても1人の人なんだ。尊厳ある人なんだと感じた時に涙がとめどなくあふれました。その時、焦った自分の気持ちを忘れないと思います」とあった。彼女は訪問介護事業所に就職が決まり、受験生を持つ母親として、職業人として旅立つ。

 1つ壁になっていることが見えてきた。年齢の壁である。50歳代後半から60歳前半の方々の就職がなかなか難しい。元気でやる気いっぱいの彼らを常勤職として受け入れてくれるところが見つからない。直接に介護職員が足りないという所に電話で問い合わせをしたりしているが壁がある。介護事業を進めている方々には、是非、年齢の壁を越えて、彼らがこれまで積み重ねてきたものを受け止めてもらい、職に就く機会をもらえないものかと願う日日である。

 受講生自らがこの壁に小さい穴でいいからあける努力が必要なことと、縁をいただいた私たちがその後押しを少しでもできたらと考えている。

 国の施策と現実に動いている現場とのそのギャツプの幅を狭くすることができるのか、私自身の課題でもあると考える。


2009.12.7UP

“負担の押し付け合い”を超えて

山口聡(日本経済新聞社 編集委員)

1987年日本経済新聞社入社。東京都庁担当、長野支局勤務などを経て、東京本社経済部で厚生省・厚生労働省を長く担当。2004年から生活経済部の編集委員として、日曜日の新聞などで社会保障問題を執筆中。

 日本の国民は原則的に必ず公的な医療保険制度に加入しています。中小企業に勤めている人やその家族ならば協会けんぽ(正式名称は全国健康保険協会。2008年10月までは政府管掌健康保険)、大企業などの従業員・家族は健康保険組合、公務員などは共済組合、自営業者らは市町村が運営する国民健康保険といった具合です。

 これら各制度はいずれも財政的に苦しい状況にあるのですが、ここに来て特に協会けんぽの財政問題が注目されています。不景気の影響で中小企業従業員の給料は減るところも多く、給料の8.2%(これを会社と従業員で半分ずつ負担)と決めている保険料収入も減少しています。収入は減っているのに、新型インフルエンザの流行などで医療費は増える一方。2009年度は6000億円の大赤字となりそうな見通しなのです。赤字を解消するには保険料率を一気に9・9%に上げなければならないといいます。



 政府は「そんな大幅な負担増を求めるわけにはいかない」として対策を検討中。ここで浮上したのが、まだ財政的に余裕がある健保組合や共済組合に協会けんぽの負担を一部肩代わりしてもらおうとの案です。これに対して健保組合サイドは「こっちだって苦しいのに、なぜ肩代わりしなければならないのか。国の責任でなんとかすべき」と断固反対の姿勢です。

 この問題、一見すると健保組合の側に理がありそうです。「どうして他人の分を負担してやらないといけないのか」と多くの人が思うでしょう。ただ詳しく見ると、少し違った見方もできます。

 一般的に医療費を多く使うのは若い世代よりも高齢者です。健保組合や協会けんぽ、共済組合は基本的に現役世代の人たちが入る保険制度なので、純粋に加入者の分の医療費を賄っているだけでは実は赤字にはならないのです。赤字になるのは高齢者の医療費を各制度で分担して負担しているためです。特に75歳以上の高齢者が加入する「後期高齢者医療制度」は加入者からの保険料収入はあまり期待できません。巨額の分担金と税金をつぎ込んで運営しています。この分担金の負担が重くて協会けんぽなどが赤字となってしまうのです。

 ここで、この分担金の計算方法が問題になります。今は加入者一人当たり一定額で計算しています。財政力は関係ありません。たとえば、加入者の給料が高いお金持ちの保険制度と給料が安い貧しい制度があったとして、加入者はともに100人とします。加入者一人当たりの分担金が100円とすると、金持ちクラブの分担金も貧乏クラブの分担金も共に1万円ということになります。これは少し不公平だと思う人もいるでしょう。同じことが今の各保険制度についてもいえます。協会けんぽは中小企業が中心ですから、加入者たちの平均給料も低めです。公務員の共済組合や、大企業の健保組合は加入者の給料は高めです。ここに加入者一人当たり一定額で分担金を求めるのは不公平ではないかと。

 協会けんぽの負担を共済組合や健保組合に肩代わりしてもらおうという案は、実はこの分担金の計算方法を変更し、各制度の加入者の給与水準に応じて払ってもらってはどうかという案なのです。相対的に財政力のあるところから多く取り、財政力がないところからは少なく取る。この方式にすることで協会けんぽの負担は減り、一息付くことができます。全国に約1500ある健保組合の中でも財政力に差はあるので、財政力に応じた負担になります。

 さて、どうでしょう。こんな風に見れば、今回の肩代わり案はとんでもない間違った方策とばかりもいえません。

 もちろん、健保組合や共済組合ばかりに負担させるのではなく、国が税金を投入してなんとかすべきだとの考えもあります。でも税金も結局は国民が負担します。

 今後高齢化はますます進み、その医療費をどう賄うかはより大きな問題となります。安心して老後を迎えられる国をつくるなら、だれかがその費用を負担しなければなりません。押し付け合いでなく、できるだけ多くの人が納得できるような負担のあり方を検討すべきなのです。


2009.11.2UP

企業年金の減額、是か非か

山口聡(日本経済新聞社 編集委員)

1987年日本経済新聞社入社。東京都庁担当、長野支局勤務などを経て、東京本社経済部で厚生省・厚生労働省を長く担当。2004年から生活経済部の編集委員として、日曜日の新聞などで社会保障問題を執筆中。

 日本航空(JAL)の経営が悪化し、ついに政府の管理下で再建していく方向となりました。再建にあたって、退職者に支払っている企業年金を減額できるかどうかが最大の問題となっています。退職者は猛反発。事態はこう着化しています。もし皆さんが当事者だったら、どう判断するでしょうか。難しい問題です。

 まずそもそもの企業年金とは何かを考えましょう。これは厚生年金など国の年金とは違う、企業独自の年金制度です。ですから、企業年金がない企業だってたくさんあります。そういう企業のOBたちは国が支給する厚生年金(正確にいうと65歳以降でもらえるのは厚生年金と基礎年金)しかもらえません。これは男性の場合で現在、平均月17万円程度です(妻の分などを合わせると世帯では20万円以上になることが珍しくありません)。

 退職金と企業年金は一体的に運営している企業も多いようです。退職時に退職金を多く受けとると、企業年金として受け取る分が減ったり、退職金を少なくすると、企業年金が多くなったりします。従業員がどのような形にするかを選べる場合もあります。

 企業年金がある会社に勤めていた人は、企業年金のない会社に比べ恵まれているという言い方もできるわけですが、退職金とのバーターの関係にあるといわれると特別に恵まれているわけでもないとの気もしてきます。また、企業年金や退職金は働いていたときの賃金の後払いであるとの考え方もあります。働いていたとき、その部分だけ給料が減っており、それを老後に年金として受け取ったり、退職時に退職金として受け取ったりしているのだとの考え方です。そうすると、改めてよいことずくめでもないのかとも思います。

 日本航空のOBは多い人で国の年金部分も含めて月40万円程度の年金を受け取っているといわれています。そこだけを見ればずいぶん恵まれていることは確かなのですが、その背景には様々な事情もあるわけです。


【日本の年金制度の体系図、青色の部分が企業年金】
 企業年金連合会のHPより


 次に、実際に企業年金を減額できるかどうかです。国が認可している企業年金については法律に基づいて減額できる条件が定められています(確定拠出年金は除く)。それによると、企業の経営が悪化していること、対象者の3分の2以上の合意を得ることなどが要件です。ここで注意すべきなのは、現役加入者の将来の年金削減の決定が先で、それでもだめなら、OB分にも手をつけるという順番になっていることです。OBたちが減額を認めた場合でも、減額前の水準で支払われたはずの年金を一定の計算式で一時金に換算し、その一時金をもらうか、減額された年金をもらい続けるかという選択肢が与えられます。すでに年金をもらっている人の権利は強く守られているのです。日航の場合はOBの年金にまで手をつけないといけない深刻な状態ということになります。しかし、受給者の3分の2の同意を得るのが難しそうなのです。

 もし、企業年金の減額を認めなかったことで、企業が資金繰りに行き詰まり破綻してしまったらどうなるでしょう。企業年金も解散ということになりますが、その際には残っていた積立金を加入者・受給者に分配して終わりとなりかねません。そもそも経営が悪化しているので十分な積立金もあるはずがなく、わずかな分配金をもらうだけになる恐れが強まります。

 それに比べれば年金は予定していたよりも大幅に減るかもしれないが、存続させたほうがよいとの判断も成り立ちます。存続していれば、企業業績が回復したときに、年金を増やすことも可能ではあります。

 さて、読者の皆さんはどちらがましだとお考えでしょう。経営危機だといわれても、本当に会社が破綻するほどなのかどうかは一般の社員やOBにはわからないという意見もあります。そこはその会社の経営陣がいかに信頼されているかという問題でもありそうです。日航の場合はそういう信頼関係が薄いのかもしれません。

 日航は公的資金(税金)をつぎ込んで救済しようとの方向になっています。国民の税金をつぎ込むのだから、「高額な企業年金を下げるのは当たり前。従わないなら法律をつくって強制的に下げる」との意見も出ています。一時金でもらえるとの選択肢もなくしてしまおうとの強硬論もあるようです。余計な介入を受ける前に、せめて企業年金については企業の労使・OB間で納得できる解決の道を探ってほしいものです。


2009.10.1UP

当たり前の生活〜韓国の介護現場から思うこと

柴田範子(特定非営利活動法人・楽 理事長)

東洋大学ライフデザイン学科教員。NPO法人「楽」理事長。また、06年6月からは日本介護福祉士会副会長も務める。共著に「訪問介護スキルアップ」(日経BP社)、「ホームヘルパーに学ぶ ひとり分でもおいしいお年寄り家庭料理帳」(中央法規)監修に「訪問介護養成研修テキストブック(2級)」 (ミネルヴァ書房)などがある。 また月刊誌『介護ビジョン』(日本医療企画)、『月刊ケアマネジメント』(環境新聞社)等での連載も経験有り。

 昨年も、その前年も恒例になった韓国の施設での福祉を学ぶ大学生、大学院生の実習。新型インフルエンザが日本同様に流行していて出かけることが危ぶまれたが、何とか学生と共に行くことが可能となり出かけた。行き先は平澤市(ピョンテック市)。私たちはその地域にある高齢者施設に5日間滞在した。毎年、温かい歓迎を受け、私自身一年ごとに韓国が好きになっていく。施設のお年寄りも学生を歓迎してくれ、一緒にいる時間を楽しみにしていてくれる。70歳代、80歳代の多くのお年寄りは日本語を話せる。学生は「えーー、すごい」と感嘆する。韓国行きを希望する学生たちは、韓国語の専門の先生から特訓を受ける。施設の中では日本語と韓国語が行き来する、とても温かい空間がある。今年は介護現場の職員の方々も日本から私たちが来るということで、日本語を学んだと理事長はにこやかに語ってくれた。

 韓国に行くようになって、日本では子供達には教育でも家庭でも伝えることが殆どないその歴史を伝えるべきだと思っていた。毎年、学生たちがお年寄りとの交流の場で、日本語を話せるということに感激しているだけではいけない。私だけでなく、関係する教員の中にも同様の願いはあったようで、金浦空港から向かったのは西大門刑務所歴史館。移動中のバスの中で、韓国に詳しい教員が、なぜ多くのお年寄りが日本語を話せるのかについて説明し、本当の交流を深めるためには、その歴史について知ることが大切だとも話した。入口には日本語で書かれた資料もあり、館内の担当者は日本語でわかりやすい説明をしてくれた。網走刑務所と同じ作りになっているという館内をじっくりと見せてもらった。ここで何かを学生は感じ取ってくれたようだった。

 韓国で日本でいう介護保険制度が始まって、1年と2か月。昨年と比較すると車いす利用の高齢者が増えたように感じる。そして、認知症をもつ高齢者が増えたようにも見える。昨年、介護保険が始まったばかりの頃に施設に伺ったが、あるお年寄りは「早く、息子に結婚してもらいたくって、施設に入ったよ」と話していた。儒教の国だから、介護保険制度が始まっても、すぐには大きな変化はないのではと思っていたが、2年目は介護サービスを利用する方が確実に増えている。市の担当者は昨年は16万人、今年度は24万人と見込んでいる。「来年度は?」と担当者に聞くと「数値は増えるよ」と回答があった。

 日本は介護保険制度が始まって以来、個人情報の保護、拘束の禁止、虐待防止、そして、第三者評価、外部評価など様々な決めごとと評価事業が始まり、それ以前に比較すると、課題は少なくないが確実に成果は上がっているように思われる。韓国は外部評価は始まるということだったが、現場の意識はまだまだだと思われた。上層部だけがやきもきしているのかも。

 私自身、介護事業をしている者として、常に介護が必要となっても「当たり前の生活」ができることを目指している。新たに始まった制度が熟すのには、まだまだ時間がかかると思われるが、いいなーと思われる「当たり前の生活」について、施設でもできていることを述べようと思う。

 日本では畳の生活が長い歴史・時間を刻んできた。介護が必要なお年寄りにとって、畳の上に座ることは当たり前であって、最も落ち着く場である。ところが介護保険制度が始まって、多くのお年寄りは介護が必要になると、ベッドの利用を勧められ活用する率が高くなった。施設においては殆どがベッド利用である。私自身の父親の介護の時もそうであったように、効果がある人とそうでない人の格差は広がり、多くの介護が必要なお年寄りは自ら動くことに制限が加えられることになる。結果、父は母の介護負担が少しでも楽になるのであればと納得し、布団上での生活をあきらめ、ベッドでの生活になった。布団で生活をしている時は、不自由な体を転がして布団から出て、腕の力を使って家の中のいきたい所に時間をかけて行っていた。それができなくなった結果、数か月で意欲の低下が見られたものである。しかし、母の介護の負担を考えると布団に戻すことはできなかった経緯がある。ベッド利用は本人の立ち上がりを楽にすることと共に、介護者の腰などの負担を軽減するために使用されている。多くの介護を必要とする方の場合は、ベッド上でしか生活ができないということになる。あの狭い面積の中で暮らすことになる。

 韓国はオンドルという床暖房が長い歴史をもっている。9月の中旬を過ぎ、朝夕が涼しくなっても、床は温かい。考えられないほどの薄い敷布団に薄い掛け布団の利用して夜は休む。私たちは常に靴下一枚で施設の中を動き回るが、足もとが冷えることはない。最重度の医療と介護の必要な方々はベッド上で過ごしている。他の認知症を持つ高齢者や軽度の介護が必要な方々の部屋は敷布団が敷かれていた。夜間、目覚めた認知症のお年寄りは施設の中を動き、ごろりと横になる。介護職員が部屋から布団を移動させ、夜遅い時間になると、1人2人のお年寄りは廊下で眠っていた。暮らす場は変わったとしても、長年週間としてきた床の生活が変わっていない。夜、コールは鳴るが、職員のバタバタする様子はあまり見かけなかった。

 日本では認知症をもつお年寄りが、ベッドから転落をする介護事故が少なくない。低床ベッドになっていると言われているが、だからと言って、介護事故が相当数減少し低下しているかというと決してそうではないようだ。「生活の継続・生活習慣の継続」という視点からと、介護事故の予防という視点からもう一度ベッド上だけでの生活については見直しが必要なのではないか。それを見直すためには環境面の2つの課題がある。1つが介護者の健康管理・介護の負担軽減であり、2つ目が寒くない環境をどう作るかだと考えるが、これを読んでいる方々はどのように思われるだろうか。

 介護保険制度での柱は「利用者主体」。もう一度、きちんと考えたい言葉である。もちろん、介護者あってのことでもあることから、介護者自身の生き方を支える仕組みも必要である。

 デイサービスに見えるお年寄りの全員が床に座って、皆さんが体を寄せてゲームを楽しんでいた場面は印象的であった。


2009.9.29UP

「かけ橋」に思う

杉山 千佳(子育て環境研究所代表、大正大学客員教授)

専業主婦での子育てを経て、育児雑誌ライターになる。2001年から子育て支援NPOの全国ネットワークをつくりつつ、厚生労働省社会保障審議会年金部会などで、「女性と年金」や「少子化と年金」について積極的に発言。受け身の支援ではなく、当事者が「自信と尊厳」を手にする支援のあり方を模索中。

 鳩山新政権、始まりましたね。わたしたちの国はこれからどうなっていくんだろう?期待と不安と…。そんな感じで連日のニュースを受けとめています。

 とりわけ、今回の政権は「子ども手当」を目玉に選挙に勝ちましたから、今後の展開について気になります。わたし自身の新政権への注文は18日付の毎日新聞に掲載されました

 とはいえ、まだ生まれたての政権ですから、急いても仕方がないと思っています。効率よく、急いでほしいけれども、できるだけ丁寧な議論をお願いしたいと思っています。

 さて、鳩山新首相は去る24日の国連総会での演説で、

 「議長、今日、世界はいくつもの困難な挑戦に直面しています。やさしい時代ではありません。しかし、「新しい日本」はそのような挑戦に背を向けることはしません。友愛精神に基づき、東洋と西洋の間、先進国と途上国の間、多様な文面の間等で世界の「架け橋」となるべく、全力を尽くしていきます。」

 と宣言しました。

鳩山総理「国民の皆様へ」

 「そんな日本になれたらいいなあ」と思いました。

 「架け橋」という言葉を聞いたとき、一冊の本を思い出しました。今回はその本の紹介をしたいと思っています。
 

内と外に橋をかける

 その本は皇后美智子様の講演録を中心にまとめられた文春文庫『橋をかける 子供時代の読書の思い出』です。構成は、1998年9月にインドで開催された国際児童図書評議会(IBBY)「子供の本を通しての平和」において美智子様がビデオテープによって基調講演をされた時の内容と、2002年9月にスイスでのIBBY50周年記念大会で美智子様がされたご挨拶の内容を中心に、関係者の方々の寄稿文からなっています。

 これは、美智子様ご自身が幼少期から読まれてこられた様々な本からたくさんのことを得られた体験と子供の本の大切さについて、選び抜かれた丁寧なことばで書かれているものです。

 「橋をかける」という題名は、講演のなかの

 「生まれて以来、人は自分と周囲との間に、一つ一つ橋をかけ、人とも、物ともつながりを深め、それを自分の世界として生きています。この橋がかからなかったり、かけても橋としての機能を果たさなかったり、時として橋をかける意志を失った時、人は孤立し、平和を失います。この橋は外に向かうだけでなく、内にも向かい、自分と自分自身との間にも絶えずかけ続けられ、本当の自分を発見し、自己の確立をうながしていくように思います」

 という一文からひかれたものだろう、と思います。

 そんな自分の内と外に、橋をかける助けになってくれたのが本だった、ということなんだろうなと思いながら読みました。

 そして、子供時代の本は、「ある時には私に根っこを与え、ある時には翼をくれました。この根っこと翼は、私が外に、内に、橋をかけ、自分の世界を少しずつ広げて育っていくときに、大きな助けとなってくれました。」とお話されています。「根っこ」と「翼」という言葉もまた象徴的だと思います。
 

自分の「根っこ」をより太くするために

 転換期を迎えた日本は、おそらくしばらく混乱が続くと思います。小さな子どもには安定した日々を繰り返し送らせることが最良であるという原則を、わたし達大人がどこまで守りきることができるかどうか、悩ましいところです。でも、そんな時代だからこそ、時流に流されない自分をつくることが大切なのだと思います。

 『橋をかける』はそんなわたし達を「ふと我に返らせてくれる一冊」であることは間違いがありません。どんな時代においても子どもの幸せと世界の平和を願う母親たちに、ぜひ読んでいただきたいなと思います。


2009.9.1UP

「政権は変わった。次は国民が変わるとき!?」

山口聡(日本経済新聞社 編集委員)

1987年日本経済新聞社入社。東京都庁担当、長野支局勤務などを経て、東京本社経済部で厚生省・厚生労働省を長く担当。2004年から生活経済部の編集委員として、日曜日の新聞などで社会保障問題を執筆中。

 総選挙で民主党が圧勝しました。自民党は1955年の結党以来ずっと第1党の座を保ってきたのですが、今回はその座を民主党に明け渡しました。初めての本格的な政権交代です。「これまでとは違った、新しい政治が始まる」と期待している人も多いでしょう。そんなときになぜ国民も変わらないといけないのかといぶかる向きもあるかもしれません。
 

社会保障は政府にしかできない

 このコラムは社会保障について考えることを目的としています。人は働けなくなったとき、病気になったとき、介護が必要になったときなど、助けを求めます。有り余るお金を持っている人は心配しなくてもいいのですが、そんな人は国民全体からいえば一握り。多くは年金制度や、健康保険や介護保険といった社会保障制度に頼ります。所得状況などに応じて国民や企業から広くお金を集め、必要な人に配るというのが社会保障制度です。この仕組みは政府が実施するしかありません。利益を目的とする民間企業にこんなことはできません。国民から強制的に税金や保険料を徴収することも政府しかできません。要するに大半の国民は政府に頼らざるを得ないのです。

 ところが、民主党は「官僚主導からの脱却」などといって、これまでの政府を、その政策を否定し、官僚を叩いてきました。どちらかといえば政府への、社会保障制度への、不信を募らせる方向です。そのほうが国民受けがいいから、国民が求めているから、という判断でしょう。新政権が政府、制度を誰が見てもいい方向に改革してくれるならいいのですが、制度や官僚を批判ばかりしていても何も解決しません。従来の政府を否定する政策ばかり打ち出しても混乱が広がるばかりでしょう。

 社会保障制度の今の問題は、必要な人に必要なサービスやお金を配ろうにも、その元となる財源がないということです。必要な対策の一つは国民などから集めるお金を増やすことであるはずです。その際、みんなからお金を集めるのですから、政府は信頼されていなければなりません。いかに信頼してもらえるような政府をつくるか。それこそが大事な課題です。
 

ダメだけではダメ

 確かに、これまでの政府に批判される点は多々ありました。予算には無駄も隠れているでしょう。不必要な官僚の天下りなどもなくすべきです。新政権はしがらみを断ち切って、そういう面での改革は断行してもらいたいものです。ただ、守るべきものは守り、充実すべきものは充実させていくことが求められます。無駄の排除を進めると、どこかの時点で「これ以上進めると政府が機能しなくなる」という局面にぶつかるはずです。それはもうすぐ目の前かもしれません。新政権は、そういうことを包み隠さず、国民に説明してもらいたいものです。「この無駄を削ったが、この政策を実行するには国民に負担増をお願いするしかない」といった丁寧な説明が必要なのです。


拡大した図はこちら

(日本は「公務員天国」とのイメージがあるが、意外にも人口当たり
公務員数は決して多くはない)


 そこで、国民も変わっていかないと話しが進みません。「政府は無駄遣いばかりで信用できない。官僚は既得権を死守しているだけ」とただ思い込んでいては、自ら社会保障制度を否定することにもつながります。そこにあるのはごく一部の金持ちだけしか安心できない社会です。イメージや固定観念に左右されず、出来る限り多くの情報を集め、柔軟に考えることが必要です。人気取りのために書かれた政権公約(マニフェスト)の項目に対して、「そんなことは実現しなくていいから、社会保障の充実には何が必要かを示してくれ」ぐらいのことを言えるようになりたいものです。


2009.8.27UP

年齢を重ねることの意味と現状を理解して

柴田範子(特定非営利活動法人・楽 理事長)

東洋大学ライフデザイン学科教員。NPO法人「楽」理事長。また、06年6月からは日本介護福祉士会副会長も務める。共著に「訪問介護スキルアップ」(日経BP社)、「ホームヘルパーに学ぶ ひとり分でもおいしいお年寄り家庭料理帳」(中央法規)監修に「訪問介護養成研修テキストブック(2級)」 (ミネルヴァ書房)などがある。 また月刊誌『介護ビジョン』(日本医療企画)、『月刊ケアマネジメント』(環境新聞社)等での連載も経験有り。

 今年に入ってから要介護認定の問題が噴出した。現段階でも、要介護認定に関する疑問はとどまっていない感がある。今年5月に樋口恵子氏や白澤政和氏などが中心になっている「介護保険を持続・発展させる1000万人の輪」が要介護認定についての考え方を伺うことも含めた「公開討論会」が行われた。選挙前ということもあり、各党の意見を具体的には示さないことにしたいと思うが、あの新・要介護認定は当初から軽度化を狙う戦略が含まれていたと具体的な資料を提示した党や内部文書が存在していたことを許し難いという党代表者もいた。また、要介護認定自体が不要であり、ケアマネジャーなど現場の専門家の判断で適正な介護を提供する仕組みとすべきであるという意見もあった。

 なるほどと思う一方で、それならば、現・ケアマネジャーの何割が利用者主体となる介護が提供されるよう、十分なアセスメントしてケアプランを作成し、各事業者と連携をとっているのだろうか。疑問に思う事ばかりである。介護保険制度当初に立ち戻るが、ケアマネジャーになれる職種を広げすぎたのが間違いだったのだろうか。専門家として素晴らしい活動をしているケアマネジャーがいる一方で、立場だけを主張し、ケアプランが届かず現場では苦慮しながら個別援助計画を立てている現状もある。とにかく、ケアプランを下さいと言い続けなさいと現場のリーダーには伝えているのだが。

 内容がずれてしまい、元に戻すが、お年寄りにかかわらせてもらい、要介護認定で軽度になることはおめでたいことではあるが、実際にはそのお年寄りの生活や心身状況に変化があったわけではない例が少なくない。しかも、何とか現サービスを利用しているから生活が成り立っている方も少なくないため、介護サービスが低下することによって生活の質の低下は十分に考えられる。介護保険のサービスを利用している方々は年齢の高い、虚弱や認知症を抱えている方々が圧倒的に多い。ということは、良い方向に向いたとしても、また、低下しやすい条件を持っている方々なのである。人が年齢を重ねることの意味と現状を理解してほしいと思う。心身状況が低下するその過程の角度を緩やかにするか、急降下させてしまうかは、要介護認定とケアマネジャー、そこにかかわる介護事業者と介護職員、関係職種である。

 過日、行きつけの蕎麦屋さんの店主が怒りながら話してくれた。93歳にもなる母親の元に調査員が来た。その調査員は母親にできるか、できないかと聞く。頑張り屋の母親だから「おかげさまで、おかげさまで何とかやっております」と答えた。その結果が、要介護1から要支援1であった。負けず嫌いの母親だから、人様に感謝の言葉を言うのが当たり前と思っている母親だから、そうであったのに。寝てばっかりいたら動けなくなることをよく理解していて、杖をつきながら毎日、毎日、外へ出て散歩をしている。母親は家族に迷惑をかけないよう頑張っている。朝布団から起きるのだって大変なんだよ。母親が答えた言葉の中に表現できないことが含まれていることを調査員には分かってほしいよね。結果、息子さんは区の介護保険課に苦情を言って再度調査してもらった。調査員は前回とは違う人だった。何も違っていない利用者にとって、これまで利用して何とか今の状況を維持しているのに・・・・再度の認定で要介護1に戻った。

 マイナスで物事を考えるのではなく、その状況に合わせた「生きがいを持てる生活」を目指すことが大切だろうと思う。お年寄りの多くはできなくなる自分を認識できている。それをあきらめるだけではなく、どうできるようにしようかと常に考えているように思うし、実行しているのである。

 発達心理学者の波多野完治氏は1997年に出版された「老いのうぶ声−波多野完治句集」に次の句を載せている。

 『足が弱くなり、膝が痛み、耳が遠くなり、目がかすむようになって初めて生まれてくる声がある。それは<愚痴>ではなく、人生の真髄を見出した<老いのうぶ声>である。』

 介護にかかわっている私たちは、ここに表現されている意味の深さを心に刻みたいものである。

 様々な出来事があっても現場は常に動いている。決して、立ち止まることはない。介護サービスを利用している本人の状態変化による不安、支える家族の悩み、1つ解決すると次の課題が・・・そのようなことが続く。課題はつきものであるが、できるだけ前を向いた姿勢を貫きたいと思って日々を過ごしている。介護サービス事業所は地域に近づき、地域と共にあり、介護サービスを利用する方々が地域で暮らし続けられる支援が基本だろうと考えている。

 先日、小規模多機能型居宅介護 ひつじ雲に近い所に近所の方々の力添えがあり、一軒屋を借りることができた。1年も前から近くにアパートの一室を借りながら、地域の一員として何かできないか模索し続けてきた。成果が表れるには時間がかかることはひつじ雲の実践からよーく理解できている。5年の時間をかけて、ようやく地域に暮らす多くの方々がひつじ雲の存在を知り、ひつじ雲が何をしているのか、その意義を理解してくれるようになった。

 9月から新規に借りられた家を活用し、地域交流の場として、介護の相談であれ何であれ、ここに来れば困り事の相談を解決するきっかけになれるよう努力したいと考えている。現在ひつじ雲を利用しているご家族や以前ひつじ雲を利用していたご家族にも、見えた方々とお茶を一杯飲みながら、介護の楽しみや苦労を語り合っていただきたいなと、そんな場になればなーと一歩ずつ進めたいと思っている。


2009.8.10UP

年金制度を政争の具にしていいのだろうか?

杉山 千佳(子育て環境研究所代表、大正大学客員教授)

専業主婦での子育てを経て、育児雑誌ライターになる。2001年から子育て支援NPOの全国ネットワークをつくりつつ、厚生労働省社会保障審議会年金部会などで、「女性と年金」や「少子化と年金」について積極的に発言。受け身の支援ではなく、当事者が「自信と尊厳」を手にする支援のあり方を模索中。

 いよいよ選挙ですね。連日テレビも新聞も「選挙一色」といった感じです。でもこれは、「ショー」ではありません。「わが国のこれから」を決める大切な節目でもあると思うので、ぜひ、読者のみなさんにも選挙に行っていただき、どの人、どの政党に未来を託すか正しく判断していただきたいと思います。


年金制度と政治

 各政党のマニフェストの中でも重要な位置を占めるのが、社会保障制度の問題です。特に年金に関しては、民主党は「年金制度一元化・月7万円の最低保障年金実現」といった威勢のいいことを言っています(朝日新聞 2009年7月30日朝刊より)。社会保険庁の年金記録問題でもヒーヒー言っているのに、ここで一元化なんかしたら、いかな日本の威信をかけた、最先端の巨大コンピューターであっても、バクハツ(?)しちゃうんじゃないかしら(社会保険庁の委員をしていたとき視察に行ったことがあるのですが、ビルのフロアすべてがコンピューターでした)と、心配になってしまいます。

 年金部会の委員として議論の過程でわかったことは、すでにできあがっている年金制度は、「明日からこう変えます!」と言ったところで、簡単にはできないということです。特に現在年金を受給している人はそれで老後の暮らしの設計をしているわけですから、ころころ変えられては困るのです。それぞれの世代の人たちの給付と負担のバランスをみながら、徐々に、一時に急激な負荷がかからないようにと、気をつけながら変えていくのです(これが日本のやり方です)。


年金の議論は選挙とは別の場所で

 だからこそ、年金部会の委員の先生がおっしゃるのは、「年金制度を政争の具にしてはいけないんだ」ということです。「政治家は選挙に勝たなくちゃいけない、だから、今の有権者にとってメリットのあることを約束するしかない。しかし、年金制度は、25年先、50年先のことも視野に入れた制度にしていかなくちゃいけない」のです。

 次世代を担い、年金の支え手になる予定の子どもには、今、選挙権がありません。有権者のみなさんが「自分はもういいから、次世代へ…」といった大きな視野においての判断をして投票するのだったら話は別ですが、自分の暮らしを最優先に投票するのだったら、今の子どもやまだ生まれていない子どもたちの負担を軽減しようとする制度を考える候補者は、間違いなく不利になるでしょう。

 立候補する以上は、当選しなければ意味がありません。選挙は、「有権者の目の前の暮らし」を問うものであるなら、25年先、50年先、100年先まで見越さなければならない年金制度は選挙の争点にはそぐわないのです。

 「年金制度の議論は、政争の具にしない」というルールを決め、超党派で建設的な議論を重ねていく方がどんなに安心か…。そして、その議論の行方を国民はしっかりとチェックするという方策がとれないだろうか…。これはわたしの夢物語・・のようです。

 「選挙が終わったら、自民党、民主党、どちらが勝っても負けた方はいさぎよく負けを認め、勝った政党の政策のすみやかな実現に力を貸してほしい。スキャンダル合戦をして相手の揚げ足取りをする政治の姿に、なによりも国民はウンザリしているのだ。政争ではなく、政治をやってほしい」と言ったら、夫に「んなわけねーじゃん」と一笑にふされてしまいました(ガックリ)。


2009.6.30UP

もうすぐ総選挙、各党のマニフェストをよく見よう

山口聡(日本経済新聞社 編集委員)

1987年日本経済新聞社入社。東京都庁担当、長野支局勤務などを経て、東京本社経済部で厚生省・厚生労働省を長く担当。2004年から生活経済部の編集委員として、日曜日の新聞などで社会保障問題を執筆中。

 あと数ヶ月のうちに、衆院の解散・総選挙が必ずあります。選挙戦が始まれば、政権交代が話題となっているだけに、盛り上がりそうな雰囲気です。さて、ここで、皆さんは選挙のときにどんな基準で投票されているのでしょうか。特定の支持政党があるという方がいるかもしれません。候補者の人柄でという方もいるでしょう。今度の選挙では、特に世の中の流れ、ムードなどを重視するといった人が目立つかもしれません。

  とはいうものの、今回は各党のマニフェスト(政権公約)をしっかり見て、それを一つの判断材料にするというのはどうでしょう。この原稿を書いている6月末の時点では各党のマニフェストはまだまとまっていませんが、特に大切な分野である社会保障を重視してはどうでしょう。

  このコラムなどで皆さんご存知のように、医療は医師不足によって、各地で病院の閉鎖、救急患者のたらい回しなどが相次ぎ、信頼が揺らいでいます。介護についても、介護従事者の給料が他の産業従事者に比べ大幅に安く、人が集まりにくくなっていることが問題視されています。医療も介護も国民が安心して必要十分なサービスが受けにくくなっているのです。 各政党はこのような状況に対し、どのような対策を打ち出してくれるのでしょうか。ここで一つ、大切なポイントがあります。それは当然のことでもありますが、医療や介護を充実させようとすれば、それだけのお金が必要になるということです。医師を養成するにも、介護従事者の給料を上げるにも、財源が必要です。聞こえのいい対策を並べても、財源がなければ絵に描いたもちです。

  日本は先進国の中では最悪の借金大国です。これ以上、国債を発行し借金して、政策を実施する余地はあまりありません。予算の使い道を見直すという案もありますが、例えば、国の公共事業費は1999年度9兆4000億円で、一般歳出予算の20%ほどを占めていましたが、10年後の今年度(2009年度)は7兆円にまで減り、一般歳出の14%ほどになっています。方や社会保障関係費は2009年度で約25兆円、一般歳出の半分です。防衛費も少しずつ減っています。もっと減らせといっても、各国とのパワーバランス上簡単にはいきません。他の分野の予算を削って、社会保障にまわすのも次第に難しくなっているのです。

  「埋蔵金というのがあったじゃないか」との声も出てきそうです。確かに、特別会計というところに、当面は使うあてのない積立金がたまっており、それを取り崩して財源に充てたという事実はあります。しかし、積立金は使ってしまえば、それまでです。社会保障のように毎年毎年、巨額の財源が必要なところでは、安定した財源になるとは言いがたいものがあります。

  こういう状況に対して、各政党はどういうマニフェストをつくるのでしょうか。より質の高い医療や介護の給付を受けようと思えば、今よりも充実した年金などの給付を受けたいのであれば、だれかがどこかでその分を負担しなければなりません。お金は天からは降ってこないのです。そういう常識を働かせながらマニフェストを見たいところです。


2009.6.15UP

何から始める? 子ども・子育て政策

杉山 千佳(子育て環境研究所代表、大正大学客員教授)

専業主婦での子育てを経て、育児雑誌ライターになる。2001年から子育て支援NPOの全国ネットワークをつくりつつ、厚生労働省社会保障審議会年金部会などで、「女性と年金」や「少子化と年金」について積極的に発言。受け身の支援ではなく、当事者が「自信と尊厳」を手にする支援のあり方を模索中。

「少子化対策」か「家族政策」か

 先日、久しぶりの社会保障審議会年金部会が行われ、その中で世代別、世帯別の推定年金額の試算が紹介されました。1940年生まれの方の場合、負担した保険料の6.5倍の給付、一方、1985年生まれの方の場合、2.3倍の給付(厚生年金・基礎年金含む場合)といった試算を見ると、「少子高齢化は問題だ!」という現実を「数字」ではっきりと突きつけられる思いです。「若い人に不公平じゃないか」とか「前提になっているモデル世帯(夫片働き、妻専業主婦)がそもそも現実とかけ離れている」といったマスコミの指摘はそのとおりなのですが、「文句ばっかり言っててもなあー」とやるせない気持ちになります。

 試算を受けて部会の中でも、「今やるべきは少子化対策」といった声が多くの部会委員から出され、少子化対策特別部会委員でもある私は、大いに勇気づけられたのですが、この「少子化対策」という言葉、どうしてもなじめないのも正直なところです。年金制度といったマクロの視点から見れば、「少子化対策」でいいと思うのですが、ミクロである子育てをしている親の立場からみると、「数さえふやせばいいの?」と、違和感を感じてしまうのです。

 保育サービスの提供や児童手当など我が国で「少子化対策」と呼んでいるほとんどの対策を、ヨーロッパの先進国では「家族政策」と位置づけて行っています。少子化対策などと言ったら、女性に叱られるからです。「少子化対策」と言わないと、政治家や国民を納得させられない現実に、家族や子ども、女性を大事にしない日本のありようを見る思いです。
 

忘れてはならない「児童福祉」、「子どもの育ち」の保障

 一方、このところの不況で「子どもの貧困」の問題も指摘されるようになりました。本人のやる気や努力や能力以前に、生まれ育った家庭環境などで参加や競争の機会を奪われたり、いわゆる「負け組」のレールに置かれてしまうことがあってはならない…。これは大人であれば誰しも思うことではないでしょうか。児童虐待の防止や対応、様々な理由で親と暮らせない子どもたちの養護など、明らかに社会的な援助が必要な子どもたちに対して十分な支援を行っていくことも必要です。そして、これは「児童福祉」と呼ばれる分野であり、そもそも「少子化対策」と並べて議論することとは違うのです。

 さらに、「児童健全育成」とか「教育」と呼ばれる分野があり、大きく言えばいわゆる「子どもの育ち」のための事業を行っています。「子育て支援」でいつも悩ましいのが、この「子どもの育ち」と「親の便利」のせめぎ合いです。「親がハッピーになれば、子どももハッピー」というわけでもないのです。延長保育や病児保育の拡充は、思う存分働きたい親にとっては必須のサービスです。しかし、子どもはそれで「ハッピー」になれるでしょうか?晩御飯は家族そろって食べるのが当たり前であったり、熱を出して不安な時こそ、お父さんやお母さんがそばにしてくれるほうが、子どもにとってはずっといいのではないでしょうか。一方で、「お母さん、○○ちゃんがかわいそうでしょう…」といったふうに「子どもの最善の利益」ばかり優先するがために、親(特に母親)の生き方の幅を狭めてしまうのも考えものです。
 

理念、優先順位、計画づくり

 このように、子ども・子育て政策には、保育サービスや主に0〜3歳を対象とした子育て支援のような「少子化対策」、社会的養護など「児童福祉」、教育や児童健全育成に力点を置いた「子どもの育ちの保障」の分野があろうかと思います。いずれも大切で、いずれも十分な財源を確保し取り組んでいく必要があるのは間違いないのですが、政策として行う場合には優先順位や取り組み計画づくりが必要になってくると思います。

 どこから取り組むにせよ、大切なのは理念です。「子どもたちをどのように育てていくか」「どんな家族像を描くか」といったところをまず確認して、それに基づいて計画を立てていく。子どもや子育てに関する政策を全部「少子化対策」にしてしまうと、どうしても無理が生じてしまいます。事業の性質を見極め、短期集中的に取り組むのか、長期継続的に取り組むのか、整理しながら具体的に動くことが必要なのだと思います。


2009.5.12UP

生活援助の意味とは

柴田範子(特定非営利活動法人・楽 理事長)

東洋大学ライフデザイン学科教員。NPO法人「楽」理事長。また、06年6月からは日本介護福祉士会副会長も務める。共著に「訪問介護スキルアップ」(日経BP社)、「ホームヘルパーに学ぶ ひとり分でもおいしいお年寄り家庭料理帳」(中央法規)監修に「訪問介護養成研修テキストブック(2級)」 (ミネルヴァ書房)などがある。 また月刊誌『介護ビジョン』(日本医療企画)、『月刊ケアマネジメント』(環境新聞社)等での連載も経験有り。

 新たな年度を迎え、国では3年後の改正に向け議論が始まるのだろうと1人考えている。

 コラムに目を通している方々は覚えているだろうか。介護保険制度が始まり、しばらく経った頃から身体介護と生活援助は分けるべきではないという意見が活発化したことを。在宅生活を継続させるためには、家事の援助をしながらも、身体を常に見守る視点、変化に気づき対応できる視点が必要である。身体介護・生活援助・相談援助が重なり合って生活を支援することが、本来のホームヘルパーの役割が果たせることに繋がるのだと書き発言した覚えがある。

 ここ数年、生活援助は介護保険制度から外していいのではないかという議論があるということが耳に入ってくる。介護保険制度にかかる報酬の額の大きさが要因だとしか考えられない。これまで何度か家事の必要性を説いてきたが、多くの男性から笑われたことがあるし、通じないということを何度か感じた。説得性のある根拠が薄い。私の弱いところである。介護保険制度が始まったころ、学者の方々や行政マンは「僕らも昼飯はコンビニの弁当を食べているよ。仕事で遅くなれば近所の食堂から店屋物を取るし。なぜ、ホームヘルパーが一軒一軒訪問して、税金・介護保険料を使って訪問先の人が希望する物を作るんだ。非効率的と言える」と発言していたという記憶がある。

 また、ドイツの介護保険制度の介護度の区分は、日本の介護保険制度に合わせると、要介護度3〜5に合致すると言われている。要するに身体介護を中心に介護サービスが提供されているのである。これを例に引き出している方もいる。

 私は昨年3月、デンマークのスベンボー市に一週間滞在した。行政の取り組みを一日かけて説明してもらった。また、グループホーム、デイサービスの訪問や9人規模の高齢者施設での実習、在宅への同行訪問をさせてもらった。わずか2時間程度で15件の訪問であった。役割分担が徹底されていたが、これはデンマークで市民権を得ている考え方なのだと思った。食事を例にあげると、数日分を業者が一食分ずつをパックにして配達し、冷蔵庫に保管してくれる。それを訪問したホームヘルパーは、どれにしますかと選択してもらい、レンジで温めて目の前に準備する。15件の訪問時、そのパッケージが組まれている家の訪問が何軒かあった。正確に測ったわけではないが一件の訪問時間は5分程度から15分程度であった。日本の高齢者は一日3食の支援の在り方が、デンマークと同じようであったらどのように思うだろうと考えた。食事1つが生活をしてきた背景を色濃く残しているし、これが食事についての歴史と価値観なのだと理解した。
 

 記憶はかなり薄れているが、介護保険制度が動き出す前、ホームヘルパーを利用している方はどのような介護・家事援助を利用しているのかの調査の補助役をしたことがある。関東近県が多かったが、割合としては身体介護を利用している方より、家事援助を利用している方が多かった。家事援助を受けることによって、これまでの生活に何とか近づけて自分らしく暮らしたい希望をかなえようとしていた方が多かったと言えるのではないか。家事援助を受けていた方々は、決して重度の介護量がかなり必要な方ではなかったように記憶している。現在で言うなら、要支援1、2、要介護1、2程度の方々である。

 当時、私が所属する研究会では、家事援助がなくなったら生活は崩壊すると言っていた。身体介護に移行するのが早くなると予測していた。その人自身の生活を支えているのは家事であり、それがなくなると生活環境が悪化し、生活することへの意欲や身体への悪化は免れないのだから。
 

 自分の人生を振り返ると、家事が日常生活の中でいかに重要な位置を占めているかが分かる。20歳代に主婦となり、母となり、家族が健康で過ごせるように住まいを整え、下手ながら食事を作り続けてきた。その食事は自分自身が子供時代に食材を揃え、作る過程を見て、味わってきた記憶そのものである。その食事づくり風景は時間が過ぎても、自分の食事として大切に記憶として目と手と舌に残っている。掃除や洗濯についても同様である。
 

 家事は誰でもできることなのか。主婦であれば家事は当然できるとしてきたのは誰か。しかし、これまで女性が家事をすることが当たり前としてきた社会で、現在、多くの女性が働いていて、家事への力の入れ具合はかなり変化している。家族の中では、できる人がやる、役割を分担するという家事そのものに対する価値観の変化が生まれた。生活援助を提供するホームヘルパー自身が、その体験し獲得してきたことが不十分である時代になっている。現在、介護サービスを受けている方の場合はどうか。私と同じように生活の歴史性、価値観を持っている。その人の生活の場でホームヘルパーは生活援助をするのである。
 

 介護サービスを受ける必要のある方々は、生活する上でどこかに不自由を感じたり、障害をもっている。その方々は生活を整えたくて、以前のような生活に近づきたくて生活援助を依頼する。ホームヘルパーを職としている方々が、果たしてこれまで自分自身が培ってきた家事の仕方を、その通りにその人の家事に当てはめていいのか。本来あるべき家事の仕方を身につけ、その生活の歴史性を理解しなくていいのか。生活援助はその人のもつ価値観とこれまでの生活の仕方を理解し、その人の状態、日々の変化を理解して初めて成り立つ。生活援助とは相談援助(利用者を気にかけ、思いを受け止め、前回訪問時との変化を観る)が重なって,はじめてホームヘルパーがかかわる援助になる。


2009.4.27UP

年金制度って、やっぱり信用できないの???

山口聡(日本経済新聞社 編集委員)

1987年日本経済新聞社入社。東京都庁担当、長野支局勤務などを経て、東京本社経済部で厚生省・厚生労働省を長く担当。2004年から生活経済部の編集委員として、日曜日の新聞などで社会保障問題を執筆中。

 4月半ばの国会。ここで年金制度に関する一つのニュースが出てきました。

 「保険料納付率いまのままなら、将来の年金 現役収入の50%割れ」

 この見出しだけでは、なんのことだかよくわかりませんが、多くの人は直感的に「やっぱり年金は将来、ダメになるんだ」と思ったのではないでしょうか。果たして本当にそうなのか。今一度よく見てみましょう。

 このニュースの基になったのは今年2月に厚生労働省が発表した、公的年金の将来見通しです。国は5年ごとに、人口の変化などを踏まえて、公的年金が将来どうなるかを検証することになっています。その結果が2月に出たのです。

 将来見通しを理解するうえで、大切な指標があります。モデルとなる厚生年金の支給水準です。平均給料の男性会社員とその妻の世帯をまず想定します。この会社員は40年間、厚生年金に加入し、妻は40年間専業主婦、すなわち「第3号被保険者」でした。このモデル世帯が老後にもらえる年金は夫の厚生年金・基礎(国民)年金と妻の基礎(国民)年金です。今現在は月22万3千円になります。一方いまの男性現役会社員の平均手取り月収は35万8千円です。モデル世帯が受け取る年金は現役会社員の給料の62%あることになります。この現役の給料に対するモデル世帯の年金比率を「所得代替率」といいます。この率で将来の年金支給がどうなっていくかを示します。

 今後現役の人口は減り、高齢者が増えるので、今と同じだけの率を維持することはできません。2月に公表された将来見通しでは、これが30年ほどかけて50.1%まで下がり、その後はその水準で安定するというものでした。今よりも約2割の削減ということになります。

 ここで冒頭のニュースに戻りましょう。2月に公表された将来見通しは数十年先の予測をするのですから、そのために様々な前提条件を置いています。そのうちの一つが基礎年金(国民年金)の保険料納付率だったのです。不景気もあって、若い人を中心に保険料を納めない人が増えています。いまの納付率は65%弱です。ところが将来見通しはこれが80%になると仮定していました。今と同じ納付率が続けばという条件で計算しなおしてみると、所得代替率は49%強となって、50%をわずかに割り込むことがわかったのです。「50%を維持する」というのは政府や与党の公約でした。ですから、約束と違うのではないかというので、ニュースになったのです。

 さて、考えてみましょう。確かに約束違反かもしれません。安易な約束をした政府や与党は責められてしかるべきでしょう。しかし、納付率を変えて計算したところで、年金の支給水準は1%も違わないのです。言い換えれば、年金制度は少子高齢化の中でもいまより支給水準を2割落とすだけでなんとか維持できるということにもなります。年金は将来破綻するという根拠のない憶測とはかなり違います。

 保険料の納付率に限らず、ほかの前提も甘く見ているのではないかとの批判もあります。確かに今の未曾有の経済危機にあっては、賃金や物価、積立金の運用利回りなどは非常に楽観的に見えます。しかし、危機が起こる前なら、学者らが見てもまあ妥当なところでした。景気が回復すれば決して実現不可能という前提でもないのです。「それでもやっぱり甘いのでは」という人向けに、もう少し前提条件を厳しくした試算もあります。そちらの結果では将来の年金はいまより約3割の削減です。

 昨年春のこのコラムでも年金の将来について書いたので、参考にしていただきたいのですが、年金制度は日本の経済社会という親亀の背中に乗った小亀です。親亀が安定すれば小亀も安泰です。具体的に言えば、子供を産み育てやすい社会をつくって、少子化の流れをできるだけ食い止めたり、成長産業を育てて経済が安定して発展していくようになれば、現役世代の保険料負担をなるべく抑えつつも、高齢者にはある程度の年金を支給しつづけることが可能になるのです。

 ずさんな記録管理など日本の年金制度には問題もたくさんありますが、ただ嘆いていても仕方ありません。明るい未来をつくろうとする努力は、そのまま安定した年金制度へもつながっていくはずなのです。

図表

拡大した図はこちら

(注) 2月に厚労省が公表した年金の将来見通し。物価が伸びる前提なので年金額も増えていくように見えるが、「所得代替率」の数字が下がっていくように、年金の実質的な支給水準は下がっていく。

2009.3.16UP

大切なのは自助・共助・公助

杉山 千佳(子育て環境研究所代表、大正大学客員教授)

専業主婦での子育てを経て、育児雑誌ライターになる。2001年から子育て支援NPOの全国ネットワークをつくりつつ、厚生労働省社会保障審議会年金部会などで、「女性と年金」や「少子化と年金」について積極的に発言。受け身の支援ではなく、当事者が「自信と尊厳」を手にする支援のあり方を模索中。

高すぎる日本の教育費

 わたくしごとですが、浪人中だった一人息子の大学がようやく決まりました!(詳細は4つ葉プロジェクトの3月11日のブログでご覧ください)

 その間感じたことは、「日本の教育費は高い!」ということです。我が家は私も夫も地方出身者なので、家を買うにしても借りるにしても、実家に頼ることはできません。バブル真っ最中、不動産が「エーッ」というぐらい高いにも関わらず、20代で最も貧乏だった頃、「子どもは一人」と決めたのは夫でした。子どもがひとりなのでなんとか教育費を出すことができ、1年間の浪人(塾通い)も耐えることができたのですが、それにしても私大の試験代や、入学金(息子は全部落ちたので払わずに済みましたが)など、馬鹿にならない額です。

 知人には10年来子育て支援の活動をしてきたけれど、子どもたちが中高大になるにつれ、パートに出ないと学費が払えないから、泣く泣く子育て支援活動を引退したという人が何人もいます。これは、子育て支援の業界においては、本当に手痛い損失です。さらに、昨今の報道を見聞きすると、大学進学したいし、相応の学力があるにも関わらず、家計の事情で断念せざるをえない子どもたちがたくさんいるということで、本当に胸が痛いです。

 海外と比較しても、日本の公的な教育費の支給額は相当低いという結果が出ています。子育て支援など乳幼児期への支援も当然ながら、その先への支援も必要ではないかなと思っています。

 息子は今、私たち双方の実家をめぐり、「お祝い」を集めています。夫も一人っ子で息子も一人っ子。私は2人姉弟ですが、子どもはそれぞれ一人なので、変な話、孫への「お祝い」は出し惜しみせず出せるのです。「年金いくらもらってるの?」と聞いたことはありませんが、「こういう時はもらえるものはもらおう」と思っています。しかし…。これでいいのかなあ…という気持ちがぬぐえないのも事実です。
 

モンスターペアレンツの問題

 さて、このところ、マスコミや学校を困惑させている問題のひとつに、学校に理不尽な文句を言いつけてくる「モンスターペアレンツ」があると思います。その中には誰が見ても「常識から逸脱している!」と思えるクレームもありますが、一方で、「これは今までの親たちは言わなかった(言えなかった)けれど、最近は先生や教育委員会に直接言うようになったんだな」と思えるようなクレームもあるように思います。

 「うちの子だけ」あの対応がいいと評判の幼稚園なり、保育園、小学校に入れてほしい。学校側の方針に、「うちは困っている」。数十年前の親もたぶん同様の思いを持ったでしょうが、周囲から浮いてはまずいのではないかといった遠慮や、ご近所の保護者との会話の中で、「みんな同じように思っているけれど、直接学校には言わないんだなー」とか、「ここは我慢しておいたほうがいいんだなー」と思ったりして、個人の不満を飲み込んでいたように思います。

 ところが、近年は個人の自立の時代ですから、自己主張をしっかりする親も増えてきたのだと思います。そうした自分の考えをきちんと伝えることができる親が増えてきたことは、ある意味進歩とも言えますし、言い方はまずいかもしれませんが、言っていることは間違っていない面もあるかもしれません。しかし、個別の対応に追われていては、学校なり幼稚園、保育園全体の運営が滞ってしまいます。

 公的な施設に、何を求めるか。100%満足できる「サービス」を求めてはいけないと思います。そして、その施設に運営なり対応の改善を求めるなら、個別のクレームではなく、その施設を利用している人たちのまとまった声としてまとめ、対案を提示する形で改善を求め、一方的に責めるのではなく、自分たちもまた参画していくという態度を示すことが大事ではないでしょうか。
 

難しい。自助・共助・公助

 そんなふうに思って、息子の大学という教育制度を振り返ってみると、明らかに「公助」が少なくて(国公立の大学なので、税金はだいぶ入っていますが)、「共助」はほとんどなく、「自助」部分で、経済的に困窮中の親は経済的に余裕がある祖父母の年金なりに頼っているという図式が見えてきます。

 そうではなく、「公助」が増え、「共助」の部分も学生が参画したり、経済的にも時間的にも余裕のある年金受給者の人たちが運営を援助するかたちで膨らみ、だれもが「自助」ができればいいのにな。教育制度の部分でも、もう少しバランスが取れればいいのにな、と思っているのは私だけではないのではないかと思います。


2009.2.16UP

終末期を支える

柴田範子(特定非営利活動法人・楽 理事長)

東洋大学ライフデザイン学科教員。NPO法人「楽」理事長。また、06年6月からは日本介護福祉士会副会長も務める。共著に「訪問介護スキルアップ」(日経BP社)、「ホームヘルパーに学ぶ ひとり分でもおいしいお年寄り家庭料理帳」(中央法規)監修に「訪問介護養成研修テキストブック(2級)」 (ミネルヴァ書房)などがある。 また月刊誌『介護ビジョン』(日本医療企画)、『月刊ケアマネジメント』(環境新聞社)等での連載も経験有り。

 今年6月を迎えると、法人設立6年目に入る。早いものだと思う一方で、最近の自分の顔のしわが多くなり、白髪も増えた。言われたことを忘れることも多くなった。職員からは「理事長!しっかりしてください」と笑われる。そして、体の動きが鈍くなっていることをしみじみ感じる。一部の方々からは「もっと運動をしなくちゃ。時間は自分がとる努力をしないと取れないよ。病気になったら自分が損でしょ」と分かり切っていることを言われるので「はいはい」と言う返答に徹している。常に課題が出現する現場。小さな組織であるからこそ、管理者だけに、職員だけに任せておくのではなく、常に助言者でありたいと思っている。少しは苦労しているのかと、数か月に一度くらいしみじみと鏡を見る。
 

 ひつじ雲、くじら雲を運営し、これまで最後のその瞬間までお二人に向き合わせてもらった。ひつじ雲を利用していたAさん(要介護5、認知症の程度M)は亡くなる一年ほど前から、痰の絡みの強い方であった。娘さんと2人暮らしで、お母さんをこよなく愛している主介護者であった。時々は、Aさんの体調が決して良い状態でない時も、兄弟に集まってもらいAさんと一緒に居酒屋へ出かけていた。「母はわかるんですよ。あの賑やかな雰囲気が好きなんでしょうね」と、肉じゃがを頼んで、ジャガイモを潰してAさんに食べさせていたようだ。日常の介護でも感心するほど工夫している点があった。小柄なAさんを介助しやすいようにベッドは使わず、分厚い固いマットレスを使用。ベッドの柵の代わりに座椅子の座面をマットレスの下に入れ込み、起き上がりを容易にしていた。座位が取れトイレに行くときは、Aさんの足底に娘さんの足の甲の部分を入れる。そうすると、Aさんは立ち上がって手引き歩行ならぬ、二人三脚歩行が可能になり、最後までトイレに行って用を足すことができた。痰の絡みが強くなって娘さんは水分を取ることや室内の湿度を気にかけ配慮していた。それだけではAさんの苦痛は取り除けず、娘さんはかかりつけ医から吸引機の使用方法を学び上手に行っていた。

 食事をとれなくなってきた、水分もとれなくなってきた、痰の絡みだけではない状況が一日ごとに見えてきた。よく晴れた土曜の午後、かかりつけ医に電話をさせてもらった。留守だったかかりつけ医は2時間後駆け付けてくれた。「ご家族に連絡してください。今晩かな〜〜」と言いながら、小さな点滴を準備し始めた。

 用事で遠出していた娘さんは兄弟を引き連れてタクシーで駆けつけた。Aさんの姿を見るなり「お母さん、お母さん」と呼びかけ、Aさんの髪の毛に触れながら「私は母が大好きで、子供のころ、いろんなことに挑戦させてくれたんですよ。ねえ、お母さん」と語る。夜9時半、Aさんは娘さんに抱きかかえられて、職員の運転する車で自宅に戻られた。娘さんはこれまでお世話になった近所の方々に声を掛け、自宅にきていただき、最後のその時を共にした。かかりつけ医も傍にいて、娘さんは安心だったと後に語っていた。ひつじ雲から戻られて1時間半後、Aさんは亡くなられた。葬儀は氷川清さんの歌が大好きだったAさんに相応しく、「母の好きな歌を流して送り出しました」と娘さんは後に語っていました。何より感動したのは「母は、亡くなる瞬間に涙を流しました。皆さんが揃っていることを知っていたのでしょうね」と語ってくれたのです。
 

 今、一年ほど前に終末期ですよと医師に言われていたYさん100歳が、その時に近づきつつある。ひつじ雲では3人目の方である。カンファレンスで、医師はここまで自分らしく過ごすことができたのは、主介護者の介護とひつじ雲の連携という言葉を投げてくれた。日々、体調の良し悪しは波がある。主介護者の娘さんは最後まで自宅とひつじ雲で過ごさせたいと願っている。主介護者の心が揺れ動く時もあるが、日に5回、6回と訪問する職員との会話がその不安を小さくしているようだ。3週間前までは普通食をYさんの目の前で潰しながら、食事の介助をさせてもらっていた。今、職員としても初めて流動食の対応をさせてもらっている。一口ずつ、一口ずつ、スプーンで飲み込みを確認しながら食べてもらっている。水分を取ってもらうこと、口腔のケアについても時間をかけて行っている。

 最後のその時まで、おつき合いできることに不安がないわけではない。その不安と共に幸せも感じていることは紛れもない真実である。

 「介護」の素晴らしさは人生そのものにかかわらせてもらうこと。これほど意義の大きい職業が他にあるだろうか。


2009.2.2UP

景気と社会保障の深い?関係

山口聡(日本経済新聞社 編集委員)

1987年日本経済新聞社入社。東京都庁担当、長野支局勤務などを経て、東京本社経済部で厚生省・厚生労働省を長く担当。2004年から生活経済部の編集委員として、日曜日の新聞などで社会保障問題を執筆中。

 世の中、景気の悪い話ばかりです。企業業績は悪化を続け、「派遣切り」も相次いでいます。正社員の賃金カットだって珍しくありません。そんな中、景気を回復させる究極の手段は「社会保障の拡充」という意見が広がっているのをご存知でしょうか。

 医療や介護、年金が景気回復につながるとはどういうことでしょうか。順を追って説明しましょう。
 

 まず、今回の景気悪化の原因は米国にあります。返済能力を超えた住宅ローンを貸し付け、それが破綻したことがきっかけです。金融危機が起こり、ものづくりの企業にまで波及しました。米国経済は非常に厳しい状況です。米国だけではありません。今回の金融危機は世界経済の一体化に伴って世界中に飛び火しています。欧州の景気も悪化しているのです。これまで高い経済成長を続けてきた中国やインドなどにも陰りが見えます。

 ここで日本は困ってしまいます。これまで日本は輸出産業が全体を引っ張る形でなんとか景気を維持していたからです。外国の不況でモノが売れなくなると、外国の需要(外需)に頼れなくなると、日本は景気回復への糸口がつかめないのです。そこで今言われているのが、日本国内での需要を喚起し、国内でモノが売れるようにしようということです。内需拡大といわれます。
 

 ところが内需拡大に向けては大きな障壁があります。国民の将来への不安です。年を取ったとき、病気になったときに、生活していけるのか、ちゃんとした医療や介護を受けられるのか、子供が生まれても育てていけるのかといった不安です。そういう不安があるために、国民はお金があっても消費に回さず、貯蓄などに回してしまうのです。これではいつまでたっても内需は拡大しません。そこで、医療・介護・年金などの社会保障制度を充実させて、国民の将来不安を取り除こうという話になるのです。医療や介護にまつわる産業が盛んになれば、そこで働く人を増やすこともできます。

 ただ社会保障を拡充するには、そこにお金をつぎ込む必要があります。この財源をどう調達するかが難問です。借金する、要するに国債を発行するという手もありますが、日本は世界一の借金大国で、これ以上の借金は危険です。
 

 となると、増税や社会保険料の引き上げしかありません。増税の中では、高所得者の所得税増税なども課題となりますが、いまもっとも注目されているのは消費税増税です。いまのところ先行きはまったく不明ですが、早ければ2011年度からとも言われています。

 消費税を上げると景気を悪化させそうですが、経済学的に言うと、そうとも言い切れません。増税した分がきちんと社会保障の財源として使われ、それが医療や介護、保育などに回っていけば、経済成長を阻害することはなく、かえって役に立つはずなのです。低所得者は確かに大変になるので、配慮が必要ではありますが、払った以上の医療や介護、年金、保育などの給付が確実に受けられるのであれば、認めてもらえるのではという考え方もできます。数年後に消費税を上げると決めれば、いまのうちにと駆け込み消費が増えて内需拡大につながる可能性もあります。そして景気が回復し、人々の収入が増えていけば、税や保険料負担の痛みも和らぎます。
 

 増税が行政の焼け太りにつながっては意味がありませんが、「こんな時期に増税なんて」とはなから拒むだけでなく、少し柔軟になって議論してみることも必要かもしれません。


2009.1.19UP

「支えあい」の大切さ

杉山 千佳(子育て環境研究所代表、大正大学客員教授)

専業主婦での子育てを経て、育児雑誌ライターになる。2001年から子育て支援NPOの全国ネットワークをつくりつつ、厚生労働省社会保障審議会年金部会などで、「女性と年金」や「少子化と年金」について積極的に発言。受け身の支援ではなく、当事者が「自信と尊厳」を手にする支援のあり方を模索中。

新しい年の始まりに

 2009年が始まりました。私の個人的な印象だけかもしれませんが、今年のお正月は、派手さのない、どちらかというと「しん」とした、静かなものだったのではないでしょうか?

 連日、製造業の経営の行き詰まりのニュースが流れ、それに合わせるかのように派遣労働者の人たちの厳しい年越しの様子が紹介されていました。そして、海外ではイスラエルにおける女性や子どもなど一般市民を巻き込んだ爆撃のニュースが飛び込んでいます。

 こんなとき、「わたしにできることは何もない」と、無力感にさいなまれ、報道を見聞きするのさえもつらいのですが、一方で、「自分がこれまで持ってきた人としての普通の感覚は、間違ってはいなかったのだな」ということを改めて認識したりもしています。

 アメリカ型社会の追随でやっていこうと我が国が動いている時は、「勝ち組」「負け組」と言われても、面と向かって否定することができず、「お金で買えないものはない」と豪語されても、「そ、そうかなあ、そうかもなあ…」なんて、うろたえたりもしたのですが、今となっては、「あれが、間違っていた。私の中にある損得のない良識は、間違いではなかった」と、確信することができるのです。

 
セーフティネットの糸は「思いやり」

 「切磋琢磨」という言葉があるように、互いに競争しながら能力を伸ばしていくことはいいことだし、やるべきことだと思います。ただし、どちらかが競争に負けてしまったとき、やりなおしができるようなセーフティネット(安全網)がはりめぐらされていなければ、それは人の社会としてはずいぶんと未成熟なものであると言うほかはないでしょう。

 また、フェアな状況の競争ならいいですが、その人の生まれた家庭環境やその他の条件で最初から差がついてしまっているような競争は、やっぱりおかしいと思います。

 そのセーフティネット(安全網)の網をはりめぐらす“糸”は何か?と言えば、「お互いを思いやる気持ち」に他ならないのではないでしょうか。自分さえよければいいというエゴイズムを捨てて、周囲の人のことを思う。もちろん、「思い」を行動に移せれば一番いいのですが、そこまでいかなくても、まずはみんながお互いを思う気持ちが、安心で安心な暮らしをかたちづくるのだと思います。

 保険制度は「支えあい」を制度にしたものだと言うことです。でも、そうした制度や仕組みであっても、スタート時の「思い」や「理念」に対する理解がないと、意味あるものにはならないように思います。

 100年に一度あるかないかと言われているこの状況は、できればないほうがいいわけですし、不安は尽きません。でも、こんな時だからこそ、「大切なことはなんだろう?」と静かに自分自身に立ち返ってみるのもいいかもしれません。

 ところで、そんな「支えあい」の気持ちを子育て支援の活動にぜひ生かしていこう!という願いを込めて、この1月に日本評論社から本を出させていただきました。題して『はじめよう!子育て支援・次世代育成支援』。「思いやり」「支えあい」という目に見えないけれどとても大切な栄養がないと、子どもは育つことができません。あなたの「力になりたい」という気持ちを具体的な行動に移すためのステップが紹介された一冊です。ぜひ、お手にとって読んでみていただければ幸いです。

『はじめよう!子育て支援・次世代育成支援』(杉山千佳著、日本評論社)


2009.1.5UP

介護事業の価値とは

柴田範子(特定非営利活動法人・楽 理事長)

東洋大学ライフデザイン学科教員。NPO法人「楽」理事長。また、06年6月からは日本介護福祉士会副会長も務める。共著に「訪問介護スキルアップ」(日経BP社)、「ホームヘルパーに学ぶ ひとり分でもおいしいお年寄り家庭料理帳」(中央法規)監修に「訪問介護養成研修テキストブック(2級)」 (ミネルヴァ書房)などがある。 また月刊誌『介護ビジョン』(日本医療企画)、『月刊ケアマネジメント』(環境新聞社)等での連載も経験有り。

 年末、12月26日に社会保障審議会介護給付費分科会において、4月からの実質的な介護報酬改定が明らかにされた。昨年より、少しだけ気持ちが楽になるかなが本音。

 単独の小さな介護事業を運営する私にとって、昨年は、足りなくなるかもしれない職員給与をどのように引き出してこようかと考え、行動した1年であった。今回の改定をするにあたって、当初からたたき台として挙げられていたのは、介護職員不足や労働条件の緩和など現場の大変さが浮かび上がり、職員の待遇についての議論であった。私自身がNPO法人を作り上げる前から考えていたことは、“職員が生活できる給与を出せる努力をする”“介護の質の確保”を自らに課していたことであった。職員を雇用するにあたり“ある程度の生活の足しになれば”という給与の在り方は考えたくなかった。働き方は多様であり、その選択は個々に任せられることであるが、それでは自らを高めようとする職員は育たないのではないかと考えていた。利用者・その家族が求める介護サービスの質について、組織と一緒に考えられる職員像をイメージし、育てなければならないと考えていた。現在、多くが正規職員として働いている。支払えるはずのない賞与についても、何とか少しだけでもと1年間頑張ってみた。昨年1年間の赤字額は1000万円近くに膨らんだ。

 介護保険制度が2000年4月に始まった当時を振り返ると、補助金などが削除されるということもあり、常勤の職員を避け、非常勤職員を雇用する傾向にあった。その影響で一挙に介護の質が低下したことを昨日のように記憶している。「介護」は「生活を支援し継続すること」であり、何よりも利用者理解を深めることから始まる。そこにかかわる職員が利用者と共にあり、職員相互が「なぜだろう」と疑問に思ったことを共に考えながら答えを見出す姿勢が当たり前になるには時間がかかる。介護実践をして4年半が過ぎ、その考えが間違っていないことを確信している。「介護」と一言で片づけている用語であるが、本来は「介護福祉」が正しいのだろうと考える。なぜなら、困っているという掃除をし、洗濯をしても、それで生活は改善しないからだ。困っているその行為の裏にある要因や気持ちの部分を1つずつ解決するためには、「共にある」という姿勢・目線が根底になければならないからだ。

 私の考え方について異論を持つ方は少なくない。介護事業を継続するためには、利益を得るということが必須である。だから非常勤でなければ事業は継続できないではないか、という考え方である。専門家・指導者が1,2人いて指示ができればいいのではと言われる。

 今後も単独の小規模事業者にとっては厳しい状況が続くことになるが、今年は地域の方々の声を聴いて事業を広い視点で捉えられればと考えている。

 ひつじ雲やくじら雲を開設している場は、広めの物件を借りようとしても財力のない私にとっては限界がある。現在行っている介護事業に何を価値として表現できるか。早いうちに答えを見出し、実行してみたい。決して屈することなく、一歩踏み出せるようにしたい。読者の方々の意見も伺えたらと思っている。


2008.12.4UP

「かわいそうだ」の先にあるもの

山口聡(日本経済新聞社 編集委員)

1987年日本経済新聞社入社。東京都庁担当、長野支局勤務などを経て、東京本社経済部で厚生省・厚生労働省を長く担当。2004年から生活経済部の編集委員として、日曜日の新聞などで社会保障問題を執筆中。

 先ごろ、厚生労働省が「保険証のない子供が全国に3万3000人いる」という調査結果を公表し、話題になりました。今回はこの問題について少し考えてみましょう。

 日本では全国民が公的な医療保険制度に加入しているはずです。世帯主が会社員なら、その世帯員は原則的に会社や政府(協会けんぽ)が運営する健康保険に加入します。自営業者なら市町村が運営する国民健康保険(国保)です。健康保険の場合、保険料は給料天引きで強制的に徴収されます。滞納は起こらないはずです。一方、国保は加入者が市町村窓口に行ったり、口座振替をしたりで、自分で納めなければなりません。ここで保険料の滞納が起こります。法律によると、1年以上保険料を滞納すると、やむをえない事情がある場合を除いて、保険証を取り上げ、代わりに「資格証明書」というものを交付することになっています。

 普通に保険証を持って医者にかかると、小学生から70歳未満の患者なら、かかった費用の3割を患者本人が負担し、残りは保険が出してくれます。ところが、資格証明書だと、医療機関で全額(10割)をいったん払わないといけないのです。後で申請して7割が戻ってくる仕組みです。話題になった「保険証のない子供」というのは、この資格証明書を交付された中学生以下の子供の数だったのです。「無保険の子供」と報道されることもありますが、厳密に言えば無保険ではありません。ただ、医者にかかるときには無保険と同じ状態だということができます。

 保険料を滞納するぐらいの世帯ですから、医療費をいったん全額払うのはなおさら難しいでしょう。病気になっても子供を医者に診せないといった世帯が出かねません。実際にそういう例も報告されていました。マスコミ報道もあって、「かわいそうだ」と批判が強まり、厚労省は、保険料を滞納している世帯でも、子供が医療を受ける必要が生じれば、緊急避難的に、保険証を交付するように市町村に通知しました。この場合の保険証は、有効期間が数ヶ月など通常より短いものを交付します。期間が切れれば、役所に来てもらい、相談の上、いくらかずつでも保険料を払ってもらおうとの狙いです。一方、保険料を払えるのに払っていないという悪質な事例については、差し押さえなどの強制徴収を進める構えです。

 保険証を取り上げたりしない代わりに、保険料徴収は厳格に進める。これで、一件落着かというと、そうではありません。国保が抱える構造的な問題があるのです。かつて、国保は会社に雇われる人ではない自営業者、農業者、漁業者らのための保険制度としてつくられましたが、その後の産業構造の変化によって、フリーターなど非正規雇用者や無職といった人たちがたくさん加入するようになりました。会社を定年退職した人も入っています。保険料収入は常に安定しないのです。今でもすでに必要財源の半分ほどは会社員らも負担している税金を投入して賄っていますが、それでも安定しません。さらに税金投入を増やさないといけないのかもしれません。それはいやだと言って、国保の保険料を上げればまた滞納も増え、堂々巡りにもなりそうです。資産も収入も頼るべき親族もいなくて保険料が払えないなら、生活保護という手もありますが、それはそれでまた税負担が増えます。

 この問題は「かわいそうだから、何とかしてやれ」では済まないのです。保険料を払う能力があれば、きちんと納めてもらうことは当然ですが、すべての国民に必要な医療を提供するという理念を守るのであれば、安定した収入がある国民や企業が今以上の負担をしなければならない可能性が十分にあります。

 

<参考>資格証明書交付世帯における子どもの数(厚生労働省資料)

滞納
世帯数
交付
世帯数
資格証明書交付世帯のうち
子どもの
いる世帯数
乳幼児数 小学生数 中学生数 中学生以下計
3,845,597 330,742 18,240 5,522 16,327 11,054 32,903

*数値は、自治体の報告を単純に合計したもの。
*国民健康保険全世帯数は2,083万世帯。


2008.11.21UP

「みんな」に埋没しない生き方を探ろう

杉山 千佳(子育て環境研究所代表、大正大学客員教授)

専業主婦での子育てを経て、育児雑誌ライターになる。2001年から子育て支援NPOの全国ネットワークをつくりつつ、厚生労働省社会保障審議会年金部会などで、「女性と年金」や「少子化と年金」について積極的に発言。受け身の支援ではなく、当事者が「自信と尊厳」を手にする支援のあり方を模索中。

 9月から週に1回、都内のとある公民館の子育て中の女性向けの講座の講師を務めさせていただきました。11回に渡る連続講座で私はそのうちの7回を担当しました。参加者は約10名。同じメンバーで約3ヵ月、毎週公民館に向かうというのも、子育て中はかなり大変なことだろうなぁと思います。それだけに、ぜいたくで中身の濃い講座となりました。

 幼い子どもを抱え、母としての戸惑いもさりながら、「私自身の人生はこれからどうなってしまうんだろう?」と、先の見えない不安に混乱していたメンバーたち。それを、まずことばにするところから始まりました。胸がいっぱいになってしまい、途中で涙する人もいらっしゃいました。そんな仲間を包み込む暖かい雰囲気が作り上げられる瞬間が、たまりません。

 そして、ことばにすることで自分を客観的に見ることができ、整理もできてきた最初の段階から、「子どもが小さくてもできることはあるんだよ」というメッセージを伝えるべく、現在子育て支援活動を実践中の女性たちの話を聴く回も設けました。

 最後は、この公民館で行われている「公費保育制度」について、利用者であるみなさんはどのように感じているかについてディスカッションし、残った時間で「講座を受講して」の感想文を一人ひとり発表して終わりました。

 公費保育制度というのは、この公民館のある自治体の子育て支援施策のひとつで、公民館における子育て中の女性たちの生涯学習を支援するために、無償で保育を付けるというものです。実際のところ、かなりのお金がかかるわけで、この財政難のなか「子育て支援はかなり充実してきたのだから、公民館でそこまでやる必要はないのではないか」といった意見も出てくるわけです。

 「公民館だからできる子育て支援とは?」ということを、改めて考える段階に来ているでしょうし、受講した母親たちが“それなり”になって修了していただかないと、“成果”があがったと報告することも難しいでしょう。そんなシビアな話も、受講者たちにはお伝えしたところ、「税金が投入されているということを初めて意識しました。私もいつか地域にご恩返しがしたい」といった意見が相次ぎました。

 「最近の若いお母さんは…」と、無力な人のように扱ってしまうと、そういう人になってしまう。「いい学校を出て、厳しい就職戦線を勝ち抜いて仕事を続けてきたのでしょう? お母さんになったからといって過去のスキルと意欲を捨てる必要はないのよ」という対応をすれば、ちゃんと返ってくるのだということを実感した講座でした。

 「杉山さんが言うような“意識の高いお母さん”はそう多くはありませんよ」と、よく言われます。多分、そうだろうな…と思いますが、ゼロではありません。

 4つ葉プロジェクトが何をしようとしているのか、自分に何ができるか…。そこに反応してくれる人は一定数いるのです。周囲が期待する“無力なママ”のスタイルを裏切って、自分らしく生きる、ことばにする。そんな女性たちが、確実に増えていると思います。


2008.11.17UP

若年性認知症を抱える方々にかかわって

柴田範子(特定非営利活動法人・楽 理事長)

東洋大学ライフデザイン学科教員。NPO法人「楽」理事長。また、06年6月からは日本介護福祉士会副会長も務める。共著に「訪問介護スキルアップ」(日経BP社)、「ホームヘルパーに学ぶ ひとり分でもおいしいお年寄り家庭料理帳」(中央法規)監修に「訪問介護養成研修テキストブック(2級)」 (ミネルヴァ書房)などがある。 また月刊誌『介護ビジョン』(日本医療企画)、『月刊ケアマネジメント』(環境新聞社)等での連載も経験有り。

 介護事業を始めて4年半。若年性認知症の方々にかかわり、その経験をもとに語ることが多くなった。対象は認知症ケアにかかわりたいと思っている方々や、実際に家族がその状況にある方々である。その後に、ご家族から苦しみが個別に伝えられることがある。体力も精神力も経済的にも限界だというご家族の声。小さな組織の限界を感じつつ、開かれるかもしれない可能性を探りたいと願っている。

 私が若年認知症の方に初めてかかわったのは4年前。認知症デイサービスをかなり強い意識をもって始めたのが4年半前。川崎市幸区幸町で昭和38年に建てられた一軒家を借りて間もなく、60歳を過ぎ間もない女性をひつじ雲でかかわらせてもらうことになった。 

 若くて認知症を持つ方々が多くなってきていることは、介護関係の雑誌や、私が関係する団体の情報から知ってはいた。それでも、介護事業を始めたばかりの私たちがかかわろうとは予測できなかった。同区内のケアマネジャーから打診があった。当時のセンター長は職員と何度も話し合ってAさんを受け入れることにした。Aさんの夫も少し自分の時間がほしいという。Aさんは、つい先日まで看護師として、ご自宅の近くの大きな病院でバリバリ働いていた女性だった。

 彼女がひつじ雲に来て行うことは、調理のお手伝い、時間があったらオルガンを弾く。昼御飯を食べて、自分で片付け、自分がここにいる意義は今日終わりと感じたら、いつの間にかスーといなくなる。職員の誰もがAさんに目を配らせていても、瞬間で見えなくなり、職員たちはAさんを探しに奔走する。私たち以上に市内を理解しているAさんの居所を探すのは大変なことだった。職員は疲れ果てることが多くなった。Aさんは何をしたいのか。どんな生活を望んでいるのか。そのあたりをAさんから聞かせてもらうことはできなかった。お年寄りの中にいて、Aさんの望む役割などを見出すことができなかった私たちの力不足であった。Aさんは大型のデイサービスを利用することになり、利用している場に一度伺った。予測していたことではあったが肩を落として帰路につくことになった。

 介護保険制度改正した平成18年5月、私は理事の了解を得て、ひつじ雲を小規模多機能型居宅介護に移行、そして、新たに同区内に一軒家を購入し、認知症デイサービスくじら雲を開設した。ここでは、金曜日を若年性認知症の方々の日にした。ひつじ雲でかかわったAさんへの対応に大きな反省、申し訳ない思いが強かったからである。

 現在、7名の方が金曜日見えている。B氏(54歳)はくじら雲への初日、鶴見川のサイクリングロードを時間をかけて奥さまと一緒に2台の自転車を走らせてきた。楽しかったようだったが、くじら雲の玄関前に掛けてある看板「デイサービスくじら雲」を見たとたん、走りだした。奥さまが追いかけ、職員も追いかけた。「デイサービス」と書かれた看板はB氏にとって嫌な印象が刻み込まれているように思えた。B氏がくじら雲に馴染んでくださるまで、奥さまはくじら雲の2階で待機してくださった。うどん作りでは粉を強く踏む役割を担ってくれた。B氏の体がふらつかないように職員はB氏のつかんだ椅子の背を支えている。卓球やキャッチボールは職員がどんなに頑張っても勝てなかった。若いころから積み重ねてきた素晴らしい技術を持っていた方である。体力もあり、コミュニケーションもとれていたB氏は、あれから2年が過ぎ、体重も落ち、一日中自ら座ることなく、「うー。うー」と大きな声を発して怒りを表出する。どんなにか心穏やかにしたいのか。でも、どうにもならない不安や怒りが大声を発せさせる。自らがそうしたいわけではなく、どうにもならないのだ。それが周囲との軋轢を生む。

 今年、最初に30度を超えた7月末の日、B氏は昼食後くじら雲の外で行ったり来たりを繰り返していた。数分後に目をやった職員はB氏が視野に入らないことに驚いた。これまではなかったことである。追いかけたが見つからず、職員総出で探す。警察にも届け出る。外出先にいた私に、午後3時になっても見つからないという電話が入る。4時になっても見つからない。脱水と交通事故のB氏の姿がよぎる。5時、「見つかった」という電話が入った。長く歩けるような状態ではないのに、他の区まで歩き、疲れたのだろうか運転者が乗っている車の後部座席を開けて、座ったそうだ。その方が警察に電話をくれた。疲れていたと思われるが、「いい表情でした」と迎えに行った職員は苦笑い。何よりも、無事だったことに感謝した。

 最近、職員たちは、皆さんが見えると「寄り合い」をする。「何をする?」から始める。「寄り合い」の結果、鶴見川のサイクリングロードのごみ拾いは金曜日に行っている。そして、10月には2班に分かれて、横浜へ散策と食事に出かけた。

 2025年には認知症を持つ方は323万人になると言われている。若年期の方々は既に4万5千人に達しているといわれる。国は今年7月「認知症の医療と生活の質を高める緊急プロジェクト」の報告書を出した。

 特に「若年性認知症対策」の短期的対策として、(1)若年性認知症にかかる相談コールセンターの設置、(2)診断後からのオーダーメイドの支援体制の形成、(3)若年認知症就労支援ネットワークの構築、(4)若年性認知症ケアの研究・普及、(5)若年性認知症に関する国民への広報啓発、中・長期対策として、(1)若年性認知症対応の介護サービスの評価、(2)若年性認知症発症者の就労継続に関する研究の実施、などが挙げられています。

 高齢者の認知症も、若年性認知症も、私たちに縁のあることかもしれません。誰でもが認知症になる可能性は否定できません。認知症をかかえていても、地域の温かい目と協力があれば、普通に近い生活が可能なのではないかと思っています。


2008.10.9UP

「これ以上、社会保障にお金かける必要あるの?」

山口聡(日本経済新聞社 編集委員)

1987年日本経済新聞社入社。東京都庁担当、長野支局勤務などを経て、東京本社経済部で厚生省・厚生労働省を長く担当。2004年から生活経済部の編集委員として、日曜日の新聞などで社会保障問題を執筆中。

 この直前の「コラム・ア・ラ・カルト」で、杉山千佳さんが日本生協連主催の「『社会保障de くらしづくり』学習・活動交流会」に参加したことを書かれていました。実は私も参加させていただき、「社会保障の現状と課題」というテーマで少しお話させていただきました。とっつきにくい話題を熱心に聞いていただき、みなさまありがとうございました。ところで、会の終了後、参加者のお一人からこんな質問を受けました。

 「いまでもすでに巨大なおカネを社会保障につぎ込んでいるはずだけど、これ以上に国民は負担する必要があるのでしょうか」

 私が前回書いたこのコラムのテーマ「増税も保険料アップも嫌だけど・・・」ともつながる内容なので、改めてこの質問について少し考えてみましょう。

 まず、政府予算のなかの社会保障費です。日本政府の今年度の一般会計予算額は約83兆円です。このうち社会保障関係は22兆円も使っており、全体の約4分の1を占めています。項目別では最大の支出項目です。これだけではありません。厚生年金保険料や健康保険料など一般会計ではなく、特別会計で処理される分のおカネもあります。これらを全部足し合わせた年金や医療など社会保障にかかっているおカネは合計で88兆円にもなり、一般会計よりも大きくなります。「いまでもすでに巨大なお金を社会保障につぎ込んでいるのでは?」という疑問は間違いのない事実です。

 とはいえ、それでもう十分かというと、別の見方があります。先進国の中で見ると日本は高齢化が進んでいる割には、社会保障にカネをかけていないのです。その国の国民所得に対して社会保障関連支出の比率がどの程度あるかを見ると(図表参照)、日本は25・7%で、スウェーデンやドイツ、フランスよりかなり下です。日本より低いのは米国ですが、ここで忘れてはならないのは、米国は日本よりずっと若い国だという点です。総人口に占める65歳以上人口の割合(高齢化率)は日本が約20%であるのに対し、米国は12%強。フランスやドイツも日本ほどは高齢化が進んでおらず、日本は今後もさらに高齢化が進みます。

 カネをかけていないことによって、日本の医療・介護は崩壊の危機にあります。身近にはお産を扱う病院がないという地域が珍しくなく、医師不足で病院の閉鎖や診療科の休止が相次いでいます。救急車で運ばれても受け入れてくれる病院がなかなかみつかりません。介護施設でも職員に十分な給料を払えないことから人手不足が顕著で、安心して介護を受けられる状況でなくなりつつあります。

 よく、日本では高齢者にばかりカネを使って、少子化対策にカネをかけていないと言いますが、実際のところは社会保障全体にカネをかけていないのです。全体のパイを増やさないまま、少子化対策費だけを増やせば、今度は高齢者の部分が危機的になりそうです。

 やはり、何らかの形で社会保障にまわすお金を増やさざるを得ないのではないでしょうか。そのとき、新たな国民の負担についての議論が避けては通れません。

 

<図表>「社会保障の給付規模の国際的な比較」

(出所:第1回社会保障国民会議資料)


2008.9.29UP

「『社会保障de くらしづくり』学習・活動交流会」に参加しました

杉山 千佳(子育て環境研究所代表、大正大学客員教授)

専業主婦での子育てを経て、育児雑誌ライターになる。2001年から子育て支援NPOの全国ネットワークをつくりつつ、厚生労働省社会保障審議会年金部会などで、「女性と年金」や「少子化と年金」について積極的に発言。受け身の支援ではなく、当事者が「自信と尊厳」を手にする支援のあり方を模索中。

 去る9月19日、日本生協連の組合員活動の一環として開催された、「『社会保障de くらしづくり』学習・活動交流会」にスピーカーとして参加させてもらいました。

 お忙しいなかお集まりくださったみなさま、どうもありがとうございました。

 それにしても、難しいことは考えたくないといった風潮が広がっているご時世に「社会保障の問題についてみんなで考えましょう!」といった活動を展開し、それに応えて全国各地で勉強会まで開いてしまう生協のみなさんって、本当にすごいな…と、感心してしまいました。

 4つ葉プロジェクトを行いながら常につまずくのは、「自分自身の目の前の子育てと、制度の隔たり」の問題です。子育て中のお母さんに、一生懸命、制度の見直しが必要、それには当事者がまず声を上げていくことが大切なのだというお話をさせていただいているそばから、「杉山さんの子育てはどんなでしたか?」とか聴かれてしまうと、正直、力が抜けてしまう時もあります。

 これは、私は練習だと思っていて、最初は、目の前の子育てや目の前の暮らしのことできゅうきゅうしていても、そこでああでもないこうでもないと考えたり、議論したりするうちに、考えるくせがつき、そのうち目の前のことから社会制度まで広げながら考えることができるようになるのではないでしょうか。

 それに子育て支援もそうだし、社会保障制度もそうなのですが、最初に制度や仕組みありきで、そこにわたしたちやわたしたちの子どもが合わせるのではなく、制度を考える際も、

 「こういう暮らしがしたいよねー」

 という具体的なイメージがあって、

 「それを実現するにはどういう制度にしたらいいだろうか?」

 という考察と議論があって、そこから制度ができあがっていくのだと思います。

 それが、「考える女性たちの思考プロセス」だと、思います。

 これまでは、暮らしを実感とした個人的要望をつきつけるのが、女性に期待されていた役割だったのかもしれませんが、これからは制度づくりそのものにも女性の意見が反映されるようになるのではないでしょうか。

 このところ、食品の問題でも消費者不在のものづくり、流通のしくみが露呈し、不安感が広がっています。こうした場面でも生協さんの役割の大きさを改めて認識します。

 暮らしに関わるできごとについて、当事者が考え、意見を発信するのが当たり前の世の中になってほしい。生協さんには、ぜひ、これからも私たちを引っ張っていっていただきたいと思います。


2008.9.11UP

介護保険の現状と課題 〜私の周りの出来事3〜

柴田範子(特定非営利活動法人・楽 理事長)

東洋大学ライフデザイン学科教員。NPO法人「楽」理事長。また、06年6月からは日本介護福祉士会副会長も務める。共著に「訪問介護スキルアップ」(日経BP社)、「ホームヘルパーに学ぶ ひとり分でもおいしいお年寄り家庭料理帳」(中央法規)監修に「訪問介護養成研修テキストブック(2級)」 (ミネルヴァ書房)などがある。 また月刊誌『介護ビジョン』(日本医療企画)、『月刊ケアマネジメント』(環境新聞社)等での連載も経験有り。

 来年度の介護報酬に向け議論が本格化される時期に入りました。

 最近の新聞記事などには、共同通信(9月2日)は「今春入学者は定員の46% 介護福祉士の養成校」と題して、「背景には、仕事の肉体的なきつさや労働実態に見合わない「低収入」などが就職先として魅力がなくなり、保護者らの反対で進学を敬遠する動きが指摘されている」とあります。先月、インドネシアから介護現場で働く方々が来日しました。将来、もっと多くの方々が来日するでしょうが、果たして、大きな人材不足の解消になるとは考えづらい現象もあります。

 一方で読売新聞(9月5日)には、「介護報酬引き上げ勧告へ・・総務省」と題して「介護福祉士らの離職率が21.6%(2006年9月末から1年間)と高く、介護サービスの利用者が増える中で人手不足を招いているにもかかわらず、厚労省は離職原因の実態調査などを実施していないことがわかった。総務省は低賃金などが離職につながっていると見て、実態調査をしたうえで、介護報酬の引き上げを検討するよう勧告することにした」とあります。ようやく、介護現場で働く職員の待遇の引き上げに少し期待できることを私自身はうれしく思います。組織のトップの方々は、ご自分の財力を肥やすことに繋がらないようにお願いしたと思っています。組織は財力が限界であれば、発展的な取り組みはできません。更に、発展的な、斬新な、丁寧な、様々な表現がありますが、そのような取り組みをしようとする組織でなければ働こうとする人は現れません。

 介護人材が現場に返ってくるためには、魅力ある現場であることが第一です。魅力あるということは、職員が利用者とともにそこに居て、常に仕事に対するやりがいや面白みを体感しながらかかわるわけです。モチベーションに違いが出てくるように思います。仕事への向かい方に対して、評価された報酬が支払われるようになると、更に仕事に向かう姿勢に張りが生まれるのではないでしょうか。今、社会から介護現場で働く職員に求められているのは「より良く生きられるための良質な介護」です。

 財源を今後どのように引き出してくるのか、いろいろな情報が流れていますが、コラムを読まれている方々にお願いしたいことは、最悪、介護保険料が挙げられたとしても反対しないでほしいのです。身近なところで聞くことは、介護保険料を改定しようとすると議会が揃って反対するのだそうです。「安い介護保険料で適切な介護・福祉サービス」が提供できるのであれば、それは素晴らしいことですが叶わないことです。今、介護を必要としている多くの高齢者は、私たちが暮らす日本の立て直しに尽力を注いできた方々です。そして、将来の自分たちが介護を必要となった場合、現状では誰がそこにかかわってくれるのでしょう。是非、現在の課題と、今後の将来像を想像して考えをまとめてもらえればと思うのです。


2008.8.11UP

増税も保険料アップも嫌だけど・・・

山口聡(日本経済新聞社 編集委員)

1987年日本経済新聞社入社。東京都庁担当、長野支局勤務などを経て、東京本社経済部で厚生省・厚生労働省を長く担当。2004年から生活経済部の編集委員として、日曜日の新聞などで社会保障問題を執筆中。

 年金にしても、医療や介護にしても、その財源が天から降ってくるわけではありません。この国の国民や企業がなんらかの形でその財源を負担してくしかありません。今回はちょっと耳障りなテーマです。

 

 先日、北欧の福祉国家、デンマークに長く住む日本人女性の話を聞く機会がありました。同国では「普通のサラリーマンでも収入の半分を国税と地方税で持っていかれる」といいます。高所得者では7割近く取られるそうです。おまけに付加価値税(日本でいうところの消費税)の税率が25%もあります。食品など生活必需品にもこの税率がかかります。

 

 すこし前になりますが、ドイツ在住の女性に話を聞いたこともあります。彼女も「収入の三分の一は税金などで取られる」と話していました。ドイツの付加価値税の税率も原則19%あります。

 

 これらの国はこれだけの負担をして、ある程度、充実した福祉を受けているわけです。特にデンマークはそれだけの負担をしていることもあって、教育は無料、医療・介護もほとんどの場合無料です。

 

 ひるがえって日本を見てみましょう。半年ほど前、「コープかながわ」の組合員の家計簿を見せてもらいました。年収が千万円台後半の比較的高所得の方の世帯で、税金と社会保険料の合計は年収の3分の1に達していませんでした。消費税率は5%です。各国比較の統計などを見ても言えることですが、日本は欧州の先進国と比べると国民の負担はまだまだ軽いといえそうです。それだけの負担しかしていないのですから、それなりの給付しかできません。無理をして給付を続けようとすると、医療も介護も年金もパンクしてしまいます。

 

 役人の無駄遣いや、社会保険庁のようなずさんな業務などを見ていると、「これ以上政府にカネをとられるのはいやだ」という気持ちにもなります。でもそうすると、社会保障は機能不全となり、年取ったときも、病気になったときも、基本は自己責任ということになりかねません。みんなで助け合う社会よりもそちらのほうがいいでしょうか。

 

 もちろん、徹底した無駄の排除は必要です。そういう努力はする一方で、社会保障給付の安定・充実のための負担増を決断しなければならないときがやって来そうです。政治家はそういう責任のある選択肢を国民に示さないといけませんし、わたしたち国民も責任を持って選択する必要があります。

図表 OECD諸国の国民負担率(対国民所得比)

出典  財務省ホームページ

拡大した図はこちら


2008.7.29UP

子育て支援の立場から、社会保障制度へのメッセージ

杉山 千佳(子育て環境研究所代表、大正大学客員教授)

専業主婦での子育てを経て、育児雑誌ライターになる。2001年から子育て支援NPOの全国ネットワークをつくりつつ、厚生労働省社会保障審議会年金部会などで、「女性と年金」や「少子化と年金」について積極的に発言。受け身の支援ではなく、当事者が「自信と尊厳」を手にする支援のあり方を模索中。

4つ葉プロジェクトが3周年を迎えました

 私たち子育て支援に関係する者たちで構成する、社会派子育て支援活動“4つ葉プロジェクト”が3周年を迎えました。去る6月22日に都内の大正大学において、記念のタウンミーティングを開催しました。

 少子化が問題視されるようになって20年近くになりますが、その対策は遅々として進まず、合計特殊出生率だけが年々下降傾向の状況です。「抜本的な対応が必要」と言われながら、国の社会保障給付費全体における子どもや家庭に対する給付の低さ(4%足らず)は、フランスやスウェーデンなど先進国の中でも群を抜いている有様です。

 「もう少ししっかりした財源を充てて取り組んでもいいのではないか?」4つ葉プロジェクトの4つ葉とは、「社会保障制度のなかに、年金、介護、医療と同等に『子ども・子育て』を位置づけてほしい。4つ葉のクローバーで取り組んでほしい」という願いがこめられています。

 ご存知のように、介護は介護保険制度の成立によって「介護の社会化」が進み、家族と地域と公共によって高齢者を支える仕組みが成り立ちました。一方、子育てについては、いまだに責任は家族にゆだねられ、「保育などできない部分を行政が支援する」といったスタンスから脱却することができずにいます。

  そうではなく、一度「子育て」というもののありようを整理し、親にできることは何か、地域コミュニティに期待したいことは何か、行政のやるべきことは何かについての役割分担を行い、「社会全体で子育てを支えていこう」という合意をすることが大切なのではないでしょうか。そして、それなりの人、もの、カネを充てて、子育て支援の仕組みをつくることが必要なのではないか…4つ葉プロジェクトではそんな問題意識で、社会に声を届けているところです。

 
まずは情報発信から

 子育て支援の現場で「子どもや親に対して何かしたい」という気持ちは熱いのですが、社会に向けてものを言うというのは、これまでやったことがない人たちばかりで行っている4つ葉プロジェクト。活動を始めたばかりの頃は、「私たちなんかが、そんな大それたことを言っていいんだろうか?」とびくびくしながら意見していました。それでも4年目を迎え、自分たちのやってきたことが、少しずつですが積み重なってきたことを実感しています。そして、たぶん、そんなに間違ったことも言っていないだろうということも。

 そんな言葉をもう一度整理して発信しよう、ということで、3周年を機にパンフレットを作成し、公式サイトのリニューアルを行いました。公式サイトではこれまで4つ葉プロジェクトを支えてくださった先生方のインタビューや行政職員、NPOのリーダーのみなさんの原稿を掲載したり、4つ葉プロジェクトのこれまでの活動を紹介したりしています。

 「子育て支援って何?」と言う人や「どうしてそんなに熱心に子育てのことをやっているの?」といった疑問にも応えることができるサイトになっているんじゃないかな?と思います。ご興味のある方はぜひ、ご覧になってみていただけたらと思います。

 4つ葉プロジェクト 公式サイト

 4つ葉プロジェクト ブログ


2008.7.9UP

介護保険の現状と課題 〜私の周りの出来事2〜

柴田範子(特定非営利活動法人・楽 理事長)

東洋大学ライフデザイン学科教員。NPO法人「楽」理事長。また、06年6月からは日本介護福祉士会副会長も務める。共著に「訪問介護スキルアップ」(日経BP社)、「ホームヘルパーに学ぶ ひとり分でもおいしいお年寄り家庭料理帳」(中央法規)監修に「訪問介護養成研修テキストブック(2級)」 (ミネルヴァ書房)などがある。 また月刊誌『介護ビジョン』(日本医療企画)、『月刊ケアマネジメント』(環境新聞社)等での連載も経験有り。

 2008年度がスタートし、早4か月目に入った。七夕に洞爺湖サミットが開催されているが、携帯電話から流れるニュースでは、ローマ法王が議論の柱に「貧しい人たちの生活の保障、特に命をささえる食料の適切な支援」をあげてほしいことと、石油による投機が社会を混乱させている等のメッセージを投げかけたとあった。

 富める人はますます富み、貧しい人はそこから這い上がることすらできない現状。何を大切にすべきか、人の命の重みを世の中は忘れ始めているのではないだろうかと昨今の事件等で思う。

 5月、6月と嬉しいことも、情けないことも含めた人の動きがあった。20歳代後半の男性から小さな「ひつじ雲」で働きたいと電話があった。職員からその知らせを受け、早い時期に面接をした。線は細いが、これまで自分がどのように介護事業所で働いてきたかを説明した上で、不正に気づき退職を決めたことを語った。正義感が強いのかと自分に問う。A氏の履歴を見るとマッサージに関する資格を持っていた。「これまで活用したことはあるの」と問いかけると「ありません。これまで履歴書には書きませんでした」と答えた。質問を繰り返す中で何とかやれるかも知れないと読んだ。すぐにでも仕事は可能というA氏に、私どもの理念、法人を作った背景について語った。A氏の心に法人理念を時間をかけて具体的に説明する私がどのように映っていたのか。2日間は時間にきて、彼なりに努力していたのだろう。しかし、職員からまったく動けない。おどおどしているように映るという言葉をもらった。3日目、連絡なく、待てども待てども来ない。職員は電話を繰り返した。私宛にA氏から返事が返ってきたのは午後3時過ぎ。「密着した深いケアはできない」ということであった。こんな風に転々としている介護職員が少なくないのだろう。すくなくとも、当初から組織の職員は一人前にケアができるとは思っていない。時間をかけ、1人ひとりに向き合い、その人を理解できるようになる。気づいたことを職員はアドバイスする。その時間が必要なのに。

 そのことがあって半月が経ったころから、運転手をしたい方、調理を手伝いたい方、非常勤でも可能ならと介護職員の応募があった。少しだけ“ホッ”とした気分を味わっている。1時間以上かけて通勤している「ひつじ雲」「くじら雲」の職員は少なくない。今、応募があるのは近場に住む方々からである。年齢も40歳代後半から65歳までと幅が広い。長く務めている職員一人ひとりに役割を持ってもらい、自らの意識を高めてもらいたいという願いが、しばらく止まっていたが、ようやく再開できるようになってきたことが嬉しい。

 国は人材確保指針を今後どのように進めていくか。具体的な動きはまだまだみえないが、7月11日に厚生労働省の異動がある。来年度の介護報酬も含めた議論がいよいよ始まるのだろう。介護サービスを受ける人にとっては、精神的にも身体的にも穏やかに暮らせることに近づけることが嬉しいことでしょうし、介護サービスを提供する側にとっても、ある程度の職員配置がされ、質を高めるための研修等に取り組める体制にできることが望ましい。それに加え、加算についても是非議論してほしいと願う。ただし、「加算は一号被保険者からいただく」という結論では合点がいかない。


2008.6.4UP

年金の税方式ってなに?

山口聡(日本経済新聞社 編集委員)

1987年日本経済新聞社入社。東京都庁担当、長野支局勤務などを経て、東京本社経済部で厚生省・厚生労働省を長く担当。2004年から生活経済部の編集委員として、日曜日の新聞などで社会保障問題を執筆中。

 近ごろ、基礎年金は社会保険料方式がよいか、税方式がよいか、といった議論を聞きます。難しそうな話ですが、私たちの生活にとても大きな影響がある話ですので、基本的なところは押さえておきましょう。

 まず、「社会保険料方式」とは今の年金の仕組みのことです。保険料を払っていれば、年金がもらえる仕組みです。一方の「税方式」とは、保険料ではなく、税金を財源にして年金を支給するという方式です。ですから、保険料を払わなくても年金がもらえます。どうして、今の方式以外に「税方式」の議論が出てきたかというと、保険料を払わない人たちがいるからです。

 日本では20歳になったり、会社で働き始めたりすると、すべての人が公的年金制度に加入することになっています。民間企業に勤める人なら厚生年金、公務員なら共済年金、自営業者や学生なら国民年金です。厚生年金や共済年金では従業員が払うべき保険料は給料から天引きされ、事業主負担分と共に事業主が国に払い込みます。保険料の未納は起きないはずです。ところが、国民年金は加入者が自ら保険料(現在は月1万4410円)を納めないといけません。ここで未納が発生します。保険料の納付率は60%台に落ち込んでいます。

 国民すべてが年金に加入しているはずなのに、実際にはそうではないのです。このままでは老後に年金がなく生活に困る人がたくさん出てきてしまうかもしれません。そこで「税方式」が登場しました。税の中でも特に消費税をあてにしています。消費税なら買い物をすればだれでも払います。それを財源に年金を払えば、未納問題は解決というわけです。

 ここでいくつかの疑問が沸くかと思います。一つは「国民年金の問題なのだから、会社員たちは関係ないのでは」という疑問です。この疑問は、「基礎年金の税方式化と言っているけど、基礎年金ってなに」という疑問と重なります。

 少しややこしい話ですが、日本の公的年金制度は職業などによって加入する制度は違うのですが、各制度とも土台のところでつながっています。その土台を「基礎年金」といいます。国民年金はまさにその土台である基礎年金なのです(図参照)。厚生年金加入者の場合は土台に基礎年金があり、そのうえに厚生年金がある形です。天引きされている厚生年金保険料には実は基礎年金分の保険料も含まれているのです。65歳になると、国民年金加入者は基礎年金を受け取り、厚生年金加入者は基礎年金と厚生年金を受け取ることになります。

 そもそも、自営業者グループだけを救済するのに多額の税金を投入するわけにはいきませんが、全国民に共通する基礎年金をすべて税金で賄うとなれば大義名分も立ちます。自営業らは国民年金保険料を払わなくてもよくなり、会社員らは基礎年金分だけ厚生年金保険料が安くなります。

 「税方式」はよい方式に見えますが、問題もたくさんあります。まず、当然のことですが、消費税を財源とするなら現在は5%の税率を大幅に引き上げる必要が出てきます。

 これまでちゃんと保険料を納めてきた人とそうでない人をどのように扱うかという問題もあります。税金を財源に両者に同じ額の年金を払うというのでは、あまりに不公平ともいえます。

 不公平感をなくすため、段階的に税方式に移行する方法もあります。たとえば、日本で40年暮らせば老後に満額の基礎年金を受け取れるとして、1年ごとに満額の40分の1の年金が増えていく制度を来年度から始めるのです。今年度までは保険料方式とします。これなら過去の保険料納付分は無駄にはなりません。しかし、来年度に60歳になる人がこれまでまったく保険料を払ってこなかったとしたら、この人は税方式が導入されたにもかかわらず、生涯無年金のままです。

 このほかにも、年金で膨大な税金を使ってしまうと、医療や介護に回す分がなくなる恐れも出てきます。医療も財政難で崩壊しつつあると言われています。どうしても財源が必要な重要な分野です。

 という具合に、いくら税方式が魅力的でも、課題は多く、そう簡単には実現しそうにありません。「いずれ税方式になるから、保険料は払わなくていい」と思っている国民年金加入者がいたとしたら、さりげなく注意してあげたほうがいいかもしれません。

図表 年金制度の体系

出典 厚生労働省ホームページ

拡大した図はこちら


2008.5.21UP

カネは天下の回りもの

杉山 千佳(子育て環境研究所代表、大正大学客員教授)

専業主婦での子育てを経て、育児雑誌ライターになる。2001年から子育て支援NPOの全国ネットワークをつくりつつ、厚生労働省社会保障審議会年金部会などで、「女性と年金」や「少子化と年金」について積極的に発言。受け身の支援ではなく、当事者が「自信と尊厳」を手にする支援のあり方を模索中。

社会保障制度はみんなの問題

 社会保障の議論をしていると、つくづく「カネは天下の回りものだなあ」と実感します。高齢者の方々が月々受け取っている「年金」も、実は天から降ってくるのではなく、若い人たちが働いたお金から、徴収された保険料が仕送りされているんですよね。ご存知だと思いますが、まだ働いていない大学生まで、年金保険料を納めています。

 少子高齢化による社会保障制度への大きな問題は、支えられる人に対して、支え手が減っているということです。今の社会保障制度の原点は、高度経済成長期につくられました。そのときは、まさか支え手がこんなに減ってしまうなんて予想だにしていなかったでしょう。予想通りにならなかった現実のなかで、なんとか制度を維持していこう、そうするにはどうしたらいいか…といった議論が国で行われているわけです。

 こんなになるまで少子化を放っておいた国の無策は指摘すべきだと思いますが、今、この危機的状況をどうしたらいいかについては、世代を超えてみんなで考えなければならないところまできていると、私は思っています。

 
「自分たちさえよければいい」ではなく

 先日「年金では暮らしていけない」と感じている高齢者が多いというデータが出ていました。確かに暮らしは厳しいかもしれませんが、仕送りをしている若い人たちは、「これ以上の負担は無理。ない袖は振れない」と感じていると思います。

 制度が変わって、これまでと同じサービスや給付が受けられなくなった。「なぜ変えるのか。政府はけしからん!」と文句を言っていたら、どこからか救いの手が差し伸べられて、現行制度に戻ってくれた。国も地方も厳しい財政難に陥っています。今、「けしからん!」と言った人は、それでいいかもしれませんが、その負担は、ただ先送りされただけであるということを想像したほうがいいと思います。

 「自分たちさえよければいい」と思っている高齢者が多いとは思いたくありませんが、若い人たち子どもたちが、がっかりするような言動や態度は、「やめてほしいなあ」と、一人の母親として思っています。メディアもことさらにそうしたお年寄りの声ばかり流すのは、違うのではないかな?と思ったりします。


2008.5.7UP

介護保険の現状と課題 〜私の周りの出来事〜

柴田範子(特定非営利活動法人・楽 理事長)

東洋大学ライフデザイン学科教員。NPO法人「楽」理事長。また、06年6月からは日本介護福祉士会副会長も務める。共著に「訪問介護スキルアップ」(日経BP社)、「ホームヘルパーに学ぶ ひとり分でもおいしいお年寄り家庭料理帳」(中央法規)監修に「訪問介護養成研修テキストブック(2級)」 (ミネルヴァ書房)などがある。 また月刊誌『介護ビジョン』(日本医療企画)、『月刊ケアマネジメント』(環境新聞社)等での連載も経験有り。

 昨夜、総会を前に、私の運営する法人の監査を担当者2人に行ってもらった。気を抜くことができずに4年が過ぎた。収入面では常に厳しい状況に追い込まれているが、介護職員や理事・監事など多くの方々の支えがあって、ここまで継続できている。「厳しい現状だからこそ、職員の協力が得られるように努力して20年度の目標を達成できるようにするといいよ」と助言してもらった。18年度,19年度と私は働く介護職員の環境を少しでも改善したいという願いをもち、ある職能団体の役員となった。ある日、理事長としての力不足から介護現場のチーム力が確実に低下していることを感じた。何とかきちんと軌道に乗せたい。職員とのコミュニケーションを適切にとれる職場環境にしたい。管理者と将来に向けて夢を語り合いたい。それらに少しでも近づき、職場改善を図りたくて、職能団体の役員をおりることにした。

 私がNPO法人を作り目指す目的としたことは、「利用者を主体とした介護の質の向上」と「職員が少しゆとりをもって暮らせる給与の取得」であった。私の周囲にあるお金をはたいても惜しくない目的だと思い意気込んでいた。認知症デイサービス ひつじ雲を開所するにあたり、開所場所の選定には時間がかかった。自分の目的とするケア等が適切に行えるだろうと思える環境になかなか出会えなかったからである。自宅からは時間で約1時間半かかるJR川崎駅前の物件に人を介して出会った。開所当時、目的を共有化できる仲間に支えられ、何とか介護事業は始まった。介護保険制度改正で介護サービスの名称は初期のものと違ったが、4年前は近所の認知症の利用者・家族は近すぎるからという理由で利用を断っていた。今、小規模多機能型居宅介護 ひつじ雲には近距離の利用者の方々が見えている。認知症が特別なものではなく、誰にでもあり得ることなのだと理解されるようになった結果だと思われる。

 ここで課題としてあげられることは、私たちの法人に限らず多くの事業所が介護職員を雇用したくてもそれが叶わないということである。小規模多機能型居宅介護は通い・泊まり・訪問という3つの介護サービスを備えている。特にひつじ雲で厳しいなと思われることは、宿泊の方が続く場合の職員の配置である。認知症デイサービス くじら雲は街の中心部から離れた河川近くにあり、交通の便は決して良いとは言えない環境下にある。ここでは365日型、金曜日は若年認知症の方の日としていて、厳しい仕事内容ではあるが楽しさ、おもしろさはある。1日の定員が12名という小さなデイサービスのため、介護職員が一人欠けるだけでも心身双方の負担が大きくなる。今、それに近い状況で運営している。

 「高齢社会をよくする女性の会(代表 樋口恵子氏)」が働く者の現状を良くしようと立ち上がり、4月23日の厚生労働委員会において代表の樋口恵子氏が意見を述べた。25日の議論を踏まえて、「介護従事者等の人材確保のための介護従事者等の処遇改善に関する法律案」ができた。来年の4月1日に向け、どのような議論が繰り広げられるのであろう。・・・・次に続く


2008.4.14UP

年金制度は本当にだめになるの?

山口聡(日本経済新聞社 編集委員)

1987年日本経済新聞社入社。東京都庁担当、長野支局勤務などを経て、東京本社経済部で厚生省・厚生労働省を長く担当。2004年から生活経済部の編集委員として、日曜日の新聞などで社会保障問題を執筆中。

 日本は世界的に見ても少子高齢化が進んでいる国です。年金を受け取る高齢者が増え、支える側の若い世代が減るわけですから、年金制度は持たないだろうと単純に考えるのも無理のないところかもしれません。テレビや新聞、雑誌を見ると、学識者と称する人たちも「国の年金制度はあてにならない」と言ったりしています。では、年金制度などやめてしまって、国民が各自、自分でなんとかするという形でいいのでしょうか。

 以前、金融機関で資金運用を担当している人が「厚生年金などやめて、その掛け金をすべて自分で運用させてくれれば、厚生年金よりずっといい年金をつくってみせる」と言ったのを聞いたことがあります。でも、これはその道のプロだから言えることです。すべての国民が30年以上に渡って年金のために貯蓄して、なおかつそれを有利に運用するなんてことは不可能ではないでしょうか。おカネがあればすぐ使ってしまう人もいます。

 備えることができない人たちが高齢になって生活に困ったとき、回りの人は「自業自得」と見放すのでしょうか。それとも税金による生活保護で救うのでしょうか。そういう風に考えると、国による年金制度はまんざら悪い仕組みではありません。

 現役世代が払っている保険料が年金を支給する財源になっているので、現役世代が保険料を払わなくなると、高齢者も年金がもらえなくなって即座に困ります。現役世代だって、自分の父や母に年金収入がなくなれば、仕送りする必要が出てきて、困ってしまうかもしれません。一部のお金持ちなどはいいかもしれませんが、国民全体から見れば公的な年金制度はそう簡単にやめることはできないのです。

 「でも結局続けていても、少子高齢化で破綻するのでしょう」との声が聞こえてきそうです。でもここは落ち着いて考えてみましょう。少子高齢化が進めば現役世代が払う保険料負担は重くなり、高齢者が受け取る年金は減っていく。これは当然のことです。問題はそれがどの程度進むかです。

 厚生年金の場合、今は給料の15%程度を会社と折半で保険料として払っています。政府の計画ではあと9年でこの率が18・3%となり、それ以上は上がりません。年金額がどうなるかは前提の置き方で違ってきます。1人の女性が生涯に産む子供の数は今、1・32(2006年)。これが将来は1・06まで下がり、経済も伸び悩むという悲観的前提を置くと年金は今よりも30%程度の削減になります。

 保険料は上がり、年金は減りますが、「破綻する」という状況とはかなり違います。わたしたちが子供を産み育てやすい社会をつくり、実際に子供が予想より多く生まれるようになれば、また経済が順調に成長すれば、年金はそんなに減らさないで済む可能性もあるのです。

 ずさんな年金記録管理など今の制度で改善しなければならないところはいくつもあります。しかし、「国の年金制度は破綻する、不要だ」などと不安ばかりをあおる主張に対しては冷静に対応したいところです。
 

厚生年金受給者の平均年金月額の推移

(年度末現在、単位:円)

  老齢年金 障害年金 遺族年金
2002(平成14)年度 173,565 107,012 91,197
2003(平成15)年度 171,365 106,188 90,334
2004(平成16)年度 167,529 106,024 89,998
2005(平成17)年度 167,172 106,150 89,845
2006(平成18)年度 165,211 105,475 89,276

 

国民年金受給者の平均年金月額の推移

(年度末現在、単位:円)

  老齢年金 障害年金 遺族年金
2002(平成14)年度 52,291 76,263 83,326
2003(平成15)年度 52,314 75,385 82,297
2004(平成16)年度 52,565 74,964 81,935
2005(平成17)年度 53,012 74,789 82,299
2006(平成18)年度 53,249 74,400 82,232
 

2008.4.2UP

若者の力が国を変える

小澤 重久(ネパール在住)

日本生協連、全国消団連、国際協同組合同盟などを経て、現在JICAシニア海外ボランティアとしてネパールに在住

 ネパールで日本語を学ぶ学生の方々の日本語弁論大会が、3月15日、首都カトマンズの南に隣接するラリトプール市で開催されました。200時間程度日本語を勉強した学生たち12名が、それぞれ5分程度のスピーチを行いました。スピーチと共に審査員との質疑応答も行われましたが、学生達の上手な日本語に驚いたと共に、スピーチのテーマとその内容にも驚きました。テーマは「外国で働く女性の問題」「女性の教育の大切さ」「時間の大切さ」「田舎の生活」「日本に似ているネパール」「停電」「言葉の影響」「ネパールの女性をめぐる問題」「ゴミ問題」「自分の夢」「工業革命」「ネパール文化を大切にしよう」などなどで、学生達はネパール社会が抱えるさまざまな問題を取り上げ、自らの考えを述べていました。

 中でも私が強い感銘を受けたのは、女子大生イジンタ・シュレスタさんが行った「女性の教育の大切さ」についてのスピーチでした。彼女の両親は女性に対する教育の必要性を理解しており、両親の支援を受け大学まで進学し勉強をしています。しかし、多くのネパール女性は充分な教育を受けていないのが現状です。ネパール女性の平均識字率は42.9%(2005年の調査)と言われ、それも自分の名前が書ける程度の方も含まれており、いかに女性が教育の機会に恵まれていないかがわかります。シュレスタさんは、以前から女性が教育を受ける機会が少ないネパール社会の状況に疑問をもっていたそうです。大学では、村の女性たちの生活実態を調査するゼミに参加しました。ゼミでは、カトマンズからバスで3時間ほどの、パナウティの村の女性たちの生活実態を調査しました。村では多くの女の子が家事の手伝いをしており、学校に通っていませんでした。彼女が驚いたのは、その家族達が「女の子は結婚したらよその家に嫁に行く。よその家に行く者に教育などする必要がない」と話していたことや、「お嫁に行って男の子を生まないと家から追い出されたりする」など、女性たちが置かれている状況でした。多くの女性は字が読めず、子供の病気の時などは祈祷師にお祈りをさせるなど、未だに迷信を信じていました。そのことで多くの子供達が命を落としている状況も知りました。彼女は、女性たちが教育を受ける機会がないことが女性たちの生活の厳しさの原因だと考え、村に学校を作り、自身も教師として働きたいと訴えていました。

 また、ゴミ問題で発言した、リノズ・マハラジャンさんの話もネパール社会の変化を感じさせるものでした。カトマンズの町は道路のあちこちにゴミが散乱しています。みかんを食べたら皮はその場にポイ捨て、飴などの包み紙もポイ捨て、大人も子どもも歩きながらでも、バスの窓からでも、平気でゴミを捨てます。少しは「道の端」とか「見えない所」に捨てるなどの意識もないようで、道路も川の中も町中がゴミ箱とでもいう感じでしょうか? 商店などでは毎朝店の前を掃除していますが、ゴミは道路の端に寄せるだけです。ネパールの場合、掃除はローカーストの人たちが行うため、一般の人からは「掃除は彼らの仕事」、「自分には関わりがない」というような意識を感じます。でも、マハラジャンさんは、自分達の町を自分達の手でなんとかきれいにしたいと考えました。彼はそのことを実際に行動に移しました。自分の考えを家族に話し、家族の賛同を得て地域の婦人会にもそのことを話しました。婦人会の方々もマハラジャンさんの話しに共鳴し、ゴミはゴミ回収日に出すこと、ポイ捨てで汚れる地域を自分達で掃除をしようという取り組みを始めました。あるJICAシニア海外ボランティアの方が、雨の日に長靴をはいて出勤したところ、「長靴は掃除をするローカーストの履物」なので、履かないようにと注意されたそうです。そのようなカースト制度が社会習慣に残っているネパール社会の状況から考えると、このマハラジャンさんの取り組みは、若者たちの意識の変化を感じさせてくれました。なんだか、学生達の報告を聞いていると、生協の組合員の方々が行う「活動交流会」の発表を聞いているような気持ちになりました。

 今回の弁論大会で、ネパールの若者たちが社会のことや暮らしのことをどのように考え、どのように解決しようとしているのかを、少しは知ることができたと思いました。ネパールは4月10日に新憲法を制定するための制憲議会議員選挙が予定され、今まさに新しい国づくりへの移行期にあるといえます。新聞では選挙に向けた各政党の候補者擁立状況や、激戦の選挙区状況などの政治状況を報道しています。若者たちが、社会のあり方に強い関心を持ち、そして積極的に関わろうとしていることは、ネパール自体が大きく変わろうとしていることの反映とも言えます。このような若者の力、その具体的な活動が、ネパールの社会を変えていく現実的な力ではないかと感じています。選挙準備をしている暫定政権の憲法草案では、さまざまな権利の保障が謳われています。その実態をこのような若者たちの意識の変化と活動が作り上げているのだと感じました。日本においてもどのような社会保障制度を実現していくのか、組合員の方々の日々の活動がその実態を作りあげているのだと、ネパールの若者の発言と重ね合わせて考えていました。


2008.3.19UP

保育料未納問題について、ひとこと・・

喜多桐スズメ(イラストレーター)

イラストレーター 著書に「へなちょこ妊婦の楽ちんお産(メタブレーン刊)他。

色んなジャンルの雑誌にイラスト・まんがを連載。ファッション業界紙・繊研新聞紙上でのイラストコラム連載は20年になる。

 少子化が問題になっているこの時代に「保育園民営化」のような政策を、各自治体はどうしてとるのでしょうか?子どもの未来を考えるのなら、質の高い公的な保育園を増やすことは先決なはず。

 小泉内閣のときに決定した「各地方財源は国庫からではなく、各自治体が自分の所で徴収してやりくりしてよ」という政策で、どこの自治体も今まで以上に、やりくりが大変だと聞きます。やりくりのためには、どこかの予算を削らないといけないのも理解出来ます。けれど、人口の少ない自治体ならいざ知らず、私の住んでいる所は人口約80万人の大所帯で、予算もそれなりにあるはずでしょう。予算を削減したいのなら、なにも保育園からでなくても?と、ここ数年間疑問だったことに、公立保育園の保育士を長年勤めてきた知人から、答えを聞かされました。

 「保育園の予算から、削ればいいじゃん」と、つけ込まれた理由のひとつに「保育料未納」問題があります。私の区の50余園あるうちの、まるまる1園分ぐらい(100世帯以上)の保護者が、保育料を未納しているそうです。おどろきの数字です。

 貧困が理由で払わない人は、ほとんどいないそうです。三人兄弟の保育料を未納して、高級外車で子どもを送り迎えし、休みには海外旅行に行く家庭が、保育料を払わないとか・・・。さらに「保育料を払ってる、私たちはお客様」といわんばかりに、権利意識の高い保護者が保育園に要求する事柄やクレームの多さも、保育園民営化を加速させている原因の一つです。私の息子の通っていた保育園でも「保育園からウチの子どもの習い事の送り迎えをしてくれ」という、お母さんがいてびっくりしたことがあります。

 区としては「今の世の中、各家庭の細かい要求に公的機関は対応出来ない」「未納保育料を徴収するのだって人件費がかかる」などの理由で、民営化をどんどん進めて行きます。区立保育園の保育士さんは地方公務員なので、民営化して人件費を削りたいのです。

 自分のことしか考えない大人が、確実に増えていて、これも時代の流れとあきらめるしかない、と保育士さんが言っていましした。

 保育料を未納する親は、小学校に上がった子どもの給食費も払いません。私の子どもが通っている小学校でも給食費を払わない親はPTA会費なんかも払いません。PTAの役員さんから、借金取りのように未納者を追いかけて会費を徴収した話を聞き、本当にショックでした。

 給食費は未納していても公表されないので、「お金を払っていない」ことで、恥ずかしい思いをしなくてすみます。だから、払ってなくてもバレないから恥ずかしくない、と考えてる大人が増えたんだと思います。自分だけがよかったらいい、という考え方が、結局、自分の子どもが大人になったときにツケを回すことになると、早く気づいて欲しいです。

 子育てのプロが「時代の流れで仕方ない」と力不足を感じるのも、とても残念でなりません。

 私に時代の流れを、止める力もありません。けれど、恥ずかしいことは恥ずかしいと言い、間違いに気がついたら素直に詫びてやり直す。こういう、当たり前のことをきちんと出来る大人の姿を、子どもたちに見せていくことが、悪い時代の流れに逆らう唯一の手段で、とても大切なことなんだと思います。


2008.3.11UP

「ワーク・ライフ・バランス」な暮らしって?

杉山 千佳(子育て環境研究所代表、大正大学客員教授)

専業主婦での子育てを経て、育児雑誌ライターになる。2001年から子育て支援NPOの全国ネットワークをつくりつつ、厚生労働省社会保障審議会年金部会などで、「女性と年金」や「少子化と年金」について積極的に発言。受け身の支援ではなく、当事者が「自信と尊厳」を手にする支援のあり方を模索中。

新しい暮らしの提案「ワーク・ライフ・バランス」

 昨年末、政府と労使の合意で「ワーク・ライフ・バランス憲章」が出されたことをご存知でしょうか?「ワーク・ライフ・バランス」・・・耳慣れない言葉ですが、日本語で言うと「仕事と生活の調和」。それが実現した社会とは、「国民一人ひとりがやりがいや充実感を感じながら働き、仕事上の責任を果たすとともに、家庭や地域生活などにおいても、子育て期、中高年期といった人生の各段階に応じて多様な生き方が選択・実現できる社会」と、「ワーク・ライフ・バランス憲章」の中では解釈されています。

 憲章では、企業とそこで働く人たちはもちろんのこと、国も国民も、地方公共団体にも呼び掛けて、ともにワーク・ライフ・バランス社会を築くことを求めています。

 
子育て支援の現場からもぜひワーク・ライフ・バランスの推進を!

 私は日頃、子育て支援の活動をする中で、赤ちゃんを育てている専業主婦の母親たちの孤独や孤立、負担感を聞いています。そのため、「妻と子どものために、お父さんがもう少し早く家に帰ってきてくれて、彼女たちの話を聞いてあげたり、『助かってるよ、ありがとう』とねぎらってくれたり、『今日は赤ちゃんを僕が見ているから、友達と食事でもしてくれば』と申し出てくれるだけで、母親も子どももだいぶ元気になるのだけどなあ!」と思っているので、この「ワーク・ライフ・バランス憲章」は大歓迎!!です。もちろん、残業を早く切り上げて帰宅するのは早いけれど、家では家事も育児もなにもしないで、「大きな赤ちゃんがもう一人増えただけで、かえって妻のストレスが増えただけだった」というのでは、まったく意味がありませんが。

 
「ワーク・ライフ・バランス」は個人の生き方の問題

 国では、この憲章とともに行動指針を出して具体的な数値目標を掲げ、労働時間の短縮や女性の就業率や男性の育児休業率のアップをめざしています。マクロの働きかけとして、これは悪いことではありませんが、本来、働き方や暮らし方の見直しは、誰かに言われてやることではないと、わたしは思っています。

 好きな人とどんなふうに暮らしたいと思っているのか?

 子どもが生まれたらどんな家族生活を送りたいと思っているのか?

 縁あって出会い、家族となった人たちとどんな時間を過ごしたいと思っているのか?

 そこを考え、実践することからしか、「ワーク・ライフ・バランス」は生まれないのではないでしょうか。

 
誰かが犠牲になるのではなく、「みんなにとっていい」をめざす

 もうひとつ、忘れてはならないのは、誰かの犠牲の上に立つ「ワーク・ライフ・バランス」は、あり得ないということです。妻の「ワーク」の犠牲の上にたつ、夫の「ワーク・(おいしいところどり)ライフ・バランス」や、誰かの「ライフ」を犠牲にした深夜労働のおかげで、充実した「ライフ」が送れる…というのは、間違っています。

 多少生活は不便になるかもしれないけれど、みんなが少しずつ我慢をすることで、みんなの「ワーク・ライフ・バランス」が実現する。そんな社会をめざしていきたいと思っています。


2008.2.22UP

『教育』を受ける権利

山脇 祐子(イギリス在住)

1967年東京生まれ。自由学園で学ぶ。卒業後、アメリカ留学。オハイオ州Oberlin大学卒業後、1992年イギリス、マンチェスターで就職。中途2年間中国・青島市で暮らしたのを除き現在までイギリスで暮らす。マレーシア華僑の夫、息子2人の4人家族。

 私の夫が自分の会社を始めたのは5年前でした。経済的に生活が成り立つのかが一番不安でしたが、どのみち終身雇用の少ないこの国では会社にお勤めしていても日本のような安定感はないのかもしれません。イギリスの医療は無料なので、いざと言うときの医療費は心配ない代わり、現在気になるのが学費と年金です。それで今回は教育について考えてみました。

 イギリスでは、『教育』というのは特権ではなく権利であるとみなされています。だからこそ大学生が学費を払わなくてはいけなくなったときに色々と取りざたされたのでしょう。現在大学の授業料は1年で約3000ポンド。大学卒の初任給が手取りで1ヶ月1000ポンド位から、でしょうか。政府からの補助金や学生ローンなどが用意されており、大学に進みたい人には色々な道があるのではないかと思います。また、シングルペアレントや低収入の家庭には収入枠を指定した補助がつき、お金がないから就職せざるを得ない、ということはないようになっているようです。

 現在、我が家の二人の子供達は小学生。C of Eといって英国国教会とつながりのある公立学校に通っています。日本のお寺に檀家があるようにイギリス国教会には教区と言うものがあり、かつては教区ごとに学校があったのです。『公立校』とはいっても子供達の通うこの学校、私にはなじみの薄い面もいくつかあります。

 まずお金の面。この学校はボランタリーエイデッドといって運営資金の一部を保護者たちの寄付からまかなっており、年に1回『寄付のお願い』の手紙が来ます。もちろん任意の金額ですが、最低額が提案されています。

 それから制服。イギリスの公立校は小学校から制服が決まっているところが大半です。その理由のひとつは服装には貧富の差が出るから、ということ。皆おそろいの服ならこっちの子供がデザイナーブランドの服を着ているのにあっちの子はスーパーの特売品を着ている、などという事がなくなるからというのです。私の子供達が通う学校は珍しく私服だったのに校長先生が変わってから今年の9月、新年度に伴い制服となりました。『楽になったわ。何を着ていくかってけんかしなくて良いから。』というのが大方のお母さんたちの意見の様子です。制服といっても、色さえそろっていれば指定店で販売されている紋章入りの服でなくても良いことになっています。これは制服にお金をかけたくない、もしくはかけられない人の為と聞きました。

 もうひとつ、公立校でありながらキリスト教の学校であるのを大切にしている、というところも驚きました。キリスト教徒でなくても入学することが出来、実際半数近くはムスリムの家庭からの生徒が占めていますが、それでも学校の礼拝や降誕劇などに参加しなくてはいけないことになっています。入学希望者が定員より多い場合の優先順位について、学区内に住んでいること、兄・姉が既に在学しているかどうかのほかに、教会・モスク・セネゴクなどに定期的に通っている家庭という項があるのも意外でした。

 さて、『小学校』は準1年生から6年生までの7年間ですが、次の学校が問題です。目標を進学校であるグラマースクールにするか『普通の』ハイスクールにするべきか。通える範囲にどのような学校があって、どこが目標に出来る範疇にあるのか早めに考えないといけないようです。既にポツリポツリと質問されるようになりました。長男はまだ8歳ですが、もうそんなことを考えなくてはならないのかとおどろくやらあせるやら。

 我が家の筋向いには私立の有名なグラマースクールがあるので、『やっぱりあそこ?』と聞かれることもしばしば。でも私立のグラマースクールは学費が高いので有名です。この学校、来年度の学費は年間で約8500ポンド。入試の成績次第で補助も出るそうですが、収入の少ない家庭に優先的に回され、収入が一定以上あると補助は一切でません。あいにくと我が家の収入程度では『学費免除』とは行きません。かたや良いとされている公立のグラマースクールは少々遠く、少なくとも始めの何年かは親が送り迎えをしなくてはならない様子。おまけに学区が違うので教育委員会に掛け合わなくてはならない等、面倒も多そうです。

 『あのあたりは小学校もいいところが多いと言うし今のうちに引越したら?』と言われたときには驚きました。が、これも決して珍しい話ではないようです。私立に入れられるほどの大金持ちはともかく、一般庶民が家を買う際は、学区内にいい学校があるところを選ぶべし、と言うのは何度も聞きました。

 誰もが受ける権利のある『教育』。でも『お金のあるなしにかかわらず、当たり外れなく公平に』というわけにはなかなか行かないようです。もっともどの学校なら学費がまかなえるか、などと憂う前に、自分の子供に向いているのがどんな学校であるか考える方が大事なことなのですけれど。


2008.2.5UP

地方の家計から見えてくるもの

波多間 純子 (ファイナンシャル・プランナー)

ファイナンシャル・プランナー。(株)ライフアンドマネークリニック代表取締役副社長。広島県在住。大手証券会社、税理士事務所を経て独立。ライフプランセミナーの企画運営のほか企業・労働組合の研修にも力を入れる。地方都市でFP業、副社長業、育児をこなす毎日の中で感じる社会保障への思いを語ります。

 格差社会という言葉がはやって?いますが、相談の現場で感じる地方の家計も格差がでているように感じます。それは収入の高さだけでは測れない貯蓄額の差にもなって現れています。必ずしも年収が高いことイコール高貯蓄額と単純にはいえないようです。そこで年収と貯蓄額の2つに軸をものさしにして地方の家計を分布し、さらに共働きか夫のみ働いているかで傾向をつかみました。

 まず、一番のグループは年収も高く、貯蓄高も高い「セレブ家計」です。共働き家庭では主に公務員同士で働くカップルがここに入るケースが多いでしょう。都市では公務員は高収入に属するとはいえないようですが、地方に行くほど中小企業中心の民間企業と比較して有利です。また、女性が安定して高収入が得られる職業としては不動のbPといえるでしょう。夫のみで働いている場合の職業は医者、公務員といったところです。決め手は安定した収入が長期にわたって確保できる家計という点です。

 二番目のグループは年収は低いけれど、貯蓄額はしっかりある「堅実家計」。地方の共働きの多くの家庭がこのグループに入り、妻は主にパート職などで働いています。年収が低いといっても夫婦あわせればそこそこの収入になりますし、地方の強みとして祖父母の子育て支援、豊富で安い食料(地方では田舎や近所から野菜などをもらうことが多い)などフル活用して生活そのものは豊かさを享受できています。堅実な暮らし方とともに地域ネットワークが生活をサポートしている点が豊かさの鍵になります。

 これらに対して三つ目のグループは年収が高いにもかかわらず貯蓄額が低い「コスト高家計」です。共働きの場合は、2人ともが忙しすぎて外食の利用やストレス解消の出費がかさんでしまうことが主な原因です。さらにこちらの家計の不安要素は妻の就業リスクです。妻が主に民間企業で働いている場合、年齢が上がるほど仕事を失うリスクが高まります。以前に比べて増えている正社員の女性ですが、その働き方はまさに企業戦士。年齢が上がるほど体力的にきつくなってきますし、給料が高いためにリストラ対象になることもあります。一方の専業主婦家庭でも教育費や生活レベルの高さを維持するため貯蓄が少ない傾向にあります。

 4つ目は年収も貯蓄も低い「がけっぷち家庭」です。本人の努力というよりたまたま、不況で非正規職員として働いているカップルやそのカップルに子どもができ、奥様は企業の育児支援も受けられないままに退職を余儀なくされているケースが見受けられます。

 収入という点では地方で長期間安定して高収入という職業は非常に限定されているため「セレブ家計」は地方の主流ではありません。都会だって同じだというご意見もおありでしょうが、転職のむずかしさ、大企業の本社が少ない等の状況が高収入維持のハードルを高くしています。一方の貯蓄高ですが、貯蓄ができる家計の背景は2つのポイントがあります。ひとつは、家族や地域の人的・物的支援があるということです。2つめは逆に意識の都会化が進んでいるほど貯蓄できにくいということです。今は都会でも地方でも消費者として受けられる情報に大きな差はありません。暮らし方、教育費のかけ方、レジャーの楽しみ方などをすべて都会の情報を取り入れてしまうと生活コストは急上昇しています。

 一方、このような年収や貯蓄の少ない家庭のひずみは社会の施策のひずみでもあります。例えば同じ労働であれば同一の賃金を払うことで、女性の多くが就いているパート職の賃金が上がります。その上で、103万円の税金の壁、130万円の社会保険料の壁を撤廃すれば、壁を越えて働こうという意欲につながります。ひいては家計全体の収入アップになります。

 さらに夫や正社員妻の労働時間を減らすことも重要です。夫が家事や育児に携わる時間を増やすことで妻と夫の仕事と家事の分担を均等に近づけることができれば、労働生産性もあがり、過労によるストレスで健康を損なったり、無駄な出費をすることがなくなりいいことがたくさんありそうです。夢物語のように聞こえますが、まずは1人1人が真剣に働き方と豊かさについて考え、意識を変えていけばきっと実現は難しくないはずです。
 


2008.1.15UP

介護保険は20歳から徴収を

高畑 敬一
(NPO法人ナルク会長)

1929年富山県小杉町に生まれる。関西大学経済学部卒業。松下電器産業労働組合委員長を経て役員。定年退職後1994年NPO法人NALCの前身であるWAC・ACを設立。現在さわやか福祉財団理事、大阪府肢体不自由者協会理事長、枚方市社会福祉協議会会長など兼務。

 家族による介護から社会みんなでする介護へ、そして行政による措置制度から民間にも提供サービス事業を開放し、選択・契約できるようになった介護保険は画期的な優れた制度として高い評価を与えることができる。ただ、実施後9年目を迎えて大きな節目にさしかかっているのも事実である。

 当初、厚労省が想定していた保険の利用者数が2倍を超え、これを支えるために保険料を2回にわたってそれぞれ30〜40%引き上げてきたが、少子高齢化の進行を計算に入れると今後も保険料の負担増を続けていかなければならない。しかし年金生活者からこれ以上保険料の引き上げを行うことは至極困難である。

 
地域包括支援センターで元気な高齢者づくり

 そこで「制度の継続性をはかる」という名目のもと、介護保険実施後5年目の見直し時点で「給付の抑制策」がとられた。具体的には、利用者が急増している軽度のサービス(従来の要支援プラス介護度Tの過半数)を新しく創った地域包括支援センターに移して「これ以上介護度が悪くならないか、むしろ良くなるためのケアプラン」をつくることと、特定高齢者やまだ保険利用者に認定されていない一般の高齢者を介護予防という観点で健康づくりに精を出させることとなった。

 包括支援センターは今のところ前者のテーマを成し遂げるのに精一杯だが、できるだけ早く保健所・医師会・社協の地域組織及びNPO・ボランティア団体・市民団体と提携して、後者のテーマすなわち継続的な健康づくり運動(例えば1万歩ウォーキングやおはようラジオ体操)を展開してほしい。行政からも一定の助成金を出すべきであろう。

 
シニアの継続型ボランティア組織を数多く

 シニアのボランティアNPOである「ナルク」は、「自分達の健康と生きがいのためにボランティアを地域で週2〜3回継続的にやらせてもらっている」が、このような「高齢者同士がボランティアで助け合う組織」を沢山作ることができれば将来介護度 II 以下は保険から外して、包括支援センターを中心にシニアのボランティア・NPOが担う。その代わり、介護度の高いサービスには単価を上げて手厚い内容にしたらよい。もしそれが上手く廻らないようならば、ドイツの介護保険と同じように20歳から保険料をとる(現在は40歳だが)ようにすべきであろう。


2007.12.25UP

「18歳」という壁

古賀和香子
(特定非営利活動法人「育て上げ」ネット・たちかわ若者
サポートステーション責任者)

児童養護施設やフリースクールで子どもの自立支援に携わりながら、社会福祉士の資格を取り、2005年から「育て上げ」ネットで若者の就労支援をやり始める。10月から「たちかわ若者サポートステーション」(厚生労働省委託事業)の所長として運営や現場支援を行っている。
NPO法人「育て上げ」ネット・ホームページはこちら

 東京都立川市でNPO法人「育て上げ」ネットが厚生労働省から地域若者サポートステーション事業の委託を受け、昨年の10月から「たちかわ若者サポートステーション」を運営しています。この事業のコンセプトは、地域の様々な支援機関(ハローワーク、保健所、子ども家庭支援センター、児童相談所、NPOなど)とネットワークを築き、若者やその保護者の「脱」孤立化を目指し、支えていくというものです。事業所内では、ニート状態、フリーター、不登校、引きこもりなど、就労(自立)に悩む15〜34歳までの若者、そしてその保護者を対象とした総合相談窓口を設置し、そして就労に向けた様々なセミナーや職場体験プログラムを開催しています。日々、新規の相談希望者が来所し、一ヶ月で400名近くの若者や保護者が当施設を利用しています。

 この事業所でセンター長として一年間様々な若者や保護者と接している中で、今「ネットワーク」では、集約しきれない課題にぶつかっています。その一つとして大きく挙げられるのが、公的機関の「18歳」という年齢の区切りです。不登校や家庭問題で悩む青少年や保護者が相談できる公的機関(子ども家庭支援センターや児童相談所)は、原則的に18歳までの青少年やその保護者しか支援を行うことができません。しかし、その彼らの多くが18歳までに問題を解決しないまま、次のステップとして就労(自立)という壁にぶつかります。その際に相談できる場所を失い、社会から離れていく、そしてそれがニートや引きこもり問題に繋がっていきます。

 基本的に「引きこもり」のケースの場合、自立するまでに引きこもっていた期間の二倍はかかると言われています。そのため、少しでも早い時点で、若者かまたはその保護者が相談窓口に繋がることがとても大切です。当ステーションでは、上記で挙げた機関との連携を強め、最近では、子ども家庭支援センターの職員や定時制高校の先生から、ケースの引き継ぎをお願いされることが増えてきています。「ワーキングプア」、「格差社会」などの言葉がメディアを賑わす現在、18歳から自立していくことは非常に難しいことは明らかです。この原因を考えることも重要ですが、こうなっている状態に応じて社会保障の制度を変えていくことも必要です。「18歳」の壁は、支援機関同士のネットワークでは超えることができない、だからこそ社会保障制度が変わっていかなければならないと強く感じます。

たちかわ若者サポートステーションの風景

2007.12.10UP

年金額を知るには?

望月厚子(ファイナンシャル・プランナー

ファイナンシャル・プランナー、望月FP社会保険労務士事務所代表。1967年東京都生まれ。大手生命保険会社、独立系FP会社を経て、フリーに。現在は相談業務(公的年金、保険、住宅ローン、金融商品など)、原稿執筆、セミナーに従事。「社会保障というと難しい感じがしますが、私たちの暮らしと密接に関わる大切なテーマだと思います」

 年金相談で多い質問は、「年金はいくらもらえるのかしら?」というもの。

 リタイアメントプランを作る上でも、いつからいくらもらえるかということの把握は大切です。

 ですから私も「将来、○○さんが受け取れる年金額は△△△円です」とお答えしたいのですが、年金額は簡単に計算することができません。

 そこで利用したいのが、社会保険庁が行っている「年金加入記録照会・年金見込額試算」というサービスです。

 これは、社会保険庁で管理している年金加入記録に基づいて年金額を試算するというもの。自分で複雑な計算式を使って計算をするよりも簡単です。

 このサービスで年金額を試算できるのは50歳以上の人で、利用した人には「年金額の試算結果」と「年金加入記録」が後日郵送されます。

 なお、この試算はあくまで申込み時点の年金加入記録に基づいて行われるため、実際に支給される年金額と異なることがあります。

 それでは、このサービスが利用できない50歳未満の人はどうすればよいでしょうか?

 50歳未満の人は社会保険庁のホームページで公開している「年金額簡易試算」で、年金額を簡易に試算することができます。

 ただし、試算にあたっては、「年金の加入期間」や会社員時の「平均給与月額」など自分で設定し、入力しなければなりません。このため、実際に支給される年金額と大きく異なる可能性が高く、あくまで参考程度という感じで利用するとよいでしょう。

 なお、50歳未満の人でも別途申込みをすれば、「年金加入記録」のみですが、郵送してくれます。

 ところで、社会保険庁では、国民年金と厚生年金保険の加入記録がある場合、58歳の翌々月に「年金加入記録のお知らせ」を送付しています(共済組合等の加入記録のみの人には送付されません)。

 このお知らせに同封されている「確認はがき」を返送すると、「年金見込額のお知らせ」が郵送されます。記載されている年金額は実際に支給される年金額と異なりますが、年金支給開始まであと数年というところで計算されているため、とても参考になります。

 年金額が知りたいという人は社会保険庁のサービスを利用してみてはいかがでしょうか?

社会保険庁


2007.11.29UP

保育園民営化について、ひとこと・・

喜多桐スズメ(イラストレーター)

イラストレーター 著書に「へなちょこ妊婦の楽ちんお産(メタブレーン刊)他。

色んなジャンルの雑誌にイラスト・まんがを連載。ファッション業界紙・繊研新聞紙上でのイラストコラム連載は20年になる。

 みなさまこんにちは。イラストレーターの喜多桐スズメと申します。この社会保障のページのキャラクターを描かせて頂いております。

 さて、私にも子どもが二人いて、ケロ美さん同様、保育園で子どもたちがお世話になりました。残念なことにケロ美さんは、お勤めと育児との折り合いがつかず、仕事を辞めることになりましたが・・。

 現在、私の二人の子どもたちは小学生ですが、それぞれ6年間保育園でお世話になり、おかげさまで仕事を続けることができました。質の高い保育で、子どもたちの面倒を見て下さった保育園には、ほんと、感謝しています。

 ずさんな経営の無認可園で子どもが犠牲になったというニュースは後を立たず、保育を利益追求の手段すると、必ず子どもが犠牲になるんだなと、胸が張り裂けそうな気持ちになります。

 やはり、充分な公的補助がないと安全な保育園運営は不可能です。ですから、最近の公立保育園の民営化によって様々なトラブルが起こっている報道などを見ると、ほんと、落ち着きません。

 私の住む自治体にも50余の公立保育園があり、手始めに2〜3園が民営化されました。最後にはすべての園を、民営化の予定です。自治体は、公務員である保育士さんたちの人件費削減が目的です。民営化で変わることは保育士さんが園に直接雇用されることだけで、補助金は今までどおり出すので、何も変わらず質の高い保育が続けられると、区は説明していますが、果たしてそうでしょうか。

 大方の予想だと、給料の高いベテランの保育士さんは雇えず、安くで雇える若い保育士たちばかりの保育園になると言われています。でも、民営化の波はおさまりません。経験不足の若い保育士さんたちに重い責任を負わせるような、バランスの悪い保育園ばかりになってしまわぬよう、祈るばかりです。

 私は保育園民営化が全て悪いとは、思っていません。なぜなら、私の娘は区立の保育園でしたが、下の息子は、区から助成を受けている、民営の保育園に通っていました。息子の通っていた私立保育園のすばらしさをここに書き出すと、このコラムを読んでいるみなさまが寝不足になるぐらいの文字量になるので、そこは割愛します。

 子どもにいい保育園は、職員にもいい保育園です。女性の多い職場なので、職員の産休もしっかり確保するため、園長先生が代わりの職員の求人に走り回っていた姿が今も思い出されます。「お給料安いから、なかなか見つからないのよね〜」と微笑みながら・・。お給料がどのくらい安いのか、詳しくは知りませんが、働きやすい環境の保育園のためか、若い保育士さんたちだけでなく、ベテランの保育士さんもちゃんといて、本当にバランスの良い保育園だったなと、改めて思いました(今もこの園は存在しますよ)。

 保育園民営化が全て悪いわけじゃなく「どこに、誰に、保育園を譲り渡すのか」というのが問題だと思います。保育で利益を上げようと考える企業など言語道断です。息子の通っていた私立保育園で質の高い保育が実現しているのは、園長先生や保育士さんたちの血のにじむような努力があるからこそ、なのです。志や理想が高いからこそ、保育園経営のような儲からない仕事を引き受けて下さる方もいるのです。

 もし、自治体の保育担当の方がこのコラムを読む機会があればお願いです。保育に意欲的で子どものことを考えて下さる企業・個人も確実にいらっしゃるので、民営化するなら、時間をかけてじっくり取り組んで下さい。午後5時には帰りたい公務員のみなさま、もう少し、頑張ってみてくださいね。


2007.11.16UP

助け合いの力が、暮らしを変える

小澤 重久(ネパール在住)

日本生協連、全国消団連、国際協同組合同盟などを経て、現在JICAシニア海外ボランティアとしてネパールに在住

 現在、私はJICAのシニア海外ボランティアとしてネパール政府の中央協同組合研修所で、行政担当者や協同組合リーダーの方々の研修に携わっています。ご存知のようにネパールは、長年にわたる国内紛争により、経済が停滞し、「紛争と貧困」という多くの開発途上国が抱えている問題に直面しています。2600万の人口のうち35%の900万人が、一日1USドル以下で生活を送っており、国家財政の26%近くを外国援助機関からの支援に依存しています。この間の治安悪化により新規援助の中止や繰り延べが行われ、国内治安維持への予算配分の増加などで、人々の暮らしに関わる予算措置が伸び悩んでいます。行政組織による国民のための社会保障制度はないに等しく、住民のNGO組織や協同組合が医療や福祉に関わる社会サービスを補完している面があります。

 ネパールの協同組合は、貯蓄信用事業を行う組合が多数を占めています。多くの組合が毎月100NRs(約190円)程度の貯蓄を1年間続けることで、組合からローンが借りられる仕組みをとっています。ローンは個人やグループで利用できます。ローンを利用し種や肥料、牛や豚などの家畜を買う農民や、仲間とグループを作りローンを元手に事業をはじめた女性グループなどが多数あります。組合では、組合員に対して貯蓄の意義を考えあう学習活動を実施し、資金の貸付だけでなく農業技術のトレーニングや手工芸技術の習得などの職業訓練も実施しています。

 ネパールは行政機関の弱さもあり、道路や水道、医療サービスなどの地域インフラ整備が極めて遅れています。協同組合の中には、その不十分な実態を放置せず、改善の取り組みを行っているところもあります。穴だらけの村の道路の改修や、老朽化し汚れた地域の水場の改善、一人暮らしの高齢者女性のためのグループホームの設置、巡回診療の実施など、さまざまな地域活動が取り組まれています。組合のリーダーは、行政に掛け合うだけでなく、募金を集めたり、自らも工事に参加したりして村人の参加を実現し、現実の行動で村人とともに地域を変えています。高齢者女性のグループホームを設立した組合のリーダーは、「女性たちには、それぞれさまざまな理由があり、ここで生活しています。身寄りのない一人暮らしの人、ご主人に先立たれたあと家にいられなくなった人、家族に事故があり離れ離れになった人、また、高齢者への家庭内暴力等もあります。国がこのような人たちの生活を保障しないからと言って、私たちが何もしないわけにいきません。地域の仲間たちと話しあって、このグループホームを設立しました」と話しています。

 ネパールには女性組合員だけの女性協同組合も数多くあります。女性たちは組合に参加することで、「貯蓄することの大切さを学んだ」「仲間と活動することで、自分自身が積極的になった」「自分の力で事業を始めることができた」として、「男性がいると、どうしてもその後ろに隠れてしまうネパールの女性たちが、自分の力で暮らしを変えたいとの思いから仲間を募り組合を設立している」と話しています。また、「子どもや家族の病気など、急にお金が必要な時に気軽にお金が借りられる」など、貯蓄することで「自分で使えるお金が持てた」ことが女性たちの大きな自信となっているようです。ネパールの協同組合は、地域の人々が助け合いながら暮らしを支えあうツールとして大きな役割を果たしています。

 このような、ネパールの協同組合の活動から感じたことは、「助け合いの力が、暮らしを変えている」ということです。人々のニーズが、協同組合を通じ具体的なサービスとして実現されつつある状況を目の当たりにしました。制度はそれを必要とされる人たちの力で成り立っていくのだということをつくづく感じています。そして、「少しでも良い商品を手に入れたい」「地域の人たちとのつながりを持ちたい」など、生協に加入されてくる組合員の皆さんの思いと、ネパールの協同組合に参加する人たちには共通する「暮らしを思う心」があると感じています。

 今、日本の社会において、年金、医療、介護、子育て支援など関して、どのような社会的制度を設計するのか、負担や給付のあり方などが大きな課題となっています。やはり、協同組合の強みは、そのことを日常的な活動と事業分野としていることだと思います。協同組合のすばらしさは、組合員の参加により事業活動を通じて組合員ニーズを実現してゆくことだと思います。そして、公的な制度実現・改善に向けても、実際に制度を運用している事業経験に裏打ちされた政策提言が、他の市民団体にはない提言そのものの現実性を高めているように思います。

 私は、日本生協連がアジアの生活協同組合の活動支援のために設立した「アジア生協協力基金」の基金募集の仕事に関わったことがあります。その時、「暮らし思う心、アジアの人々とともに」が運動のテーマになっていたと記憶しています。生協に関わる皆さんには暮らしの実感を出発点に、日々の活動や事業を通じ、地域における人々の「助け合い」の担い手としての役割を発揮しながら、今後の日本における社会保障制度のあり方への論議に積極的に参加することが期待されていると思います。

 「暮らし思う心、アジアの人々とともに」、暮らしの場から発信することの大切さを日々感じています。

ネパールの女の子の写真。女の子が赤ちゃんをおんぶして遊ぶ姿は、昔の日本では普通でしたが、これがネパールの子育ての現実です。

ダルバール広場 ナガルコット

2007.10.23UP

子育て支援と社会保障制度

杉山 千佳(子育て環境研究所代表、大正大学客員教授)

専業主婦での子育てを経て、育児雑誌ライターになる。2001年から子育て支援NPOの全国ネットワークをつくりつつ、厚生労働省社会保障審議会年金部会などで、「女性と年金」や「少子化と年金」について積極的に発言。受け身の支援ではなく、当事者が「自信と尊厳」を手にする支援のあり方を模索中。

 平成元年に専業主婦で息子を出産してから、私はずっと、育児雑誌などの情報を通して女性や子ども、子育てに関する仕事を続けてきました。

 そのうち、「むむ。お母さん、お父さんが家庭のなかでどんなにがんばっても解決できない問題が多すぎるのではないか!?」と思うようになり、関心はどんどんと社会全体に向けられるようになりました。

 例えば、子どもが生まれて働き続けたいと思っても、周囲の理解が得られず、結局仕事を辞めてしまったお母さん。子どもが生まれて早く帰りたいと思っているのに、残業続きでなかなか帰れないお父さん。実家も遠く、夫の参加もなく、子どもと二人ぼっちで孤独な子育てを強いられ、子育てが楽しいと思えないお母さんなど。

 「それって、親が悪いの?」

 そんなはずはありません。

 今、社会では、出産育児を経ても子育てしながら働き続けられる環境づくりが求められています。一方、母親が孤立した子育てをしなくてすむ地域づくりや、安心して気軽に預けられる施設整備、再就職しやすい職場づくりなど、親以外の人たちが子育てしやすい環境づくりのために協力することが求められています。

 そんなふうに、社会全体で子どもの育ちと、子育てしている親を支えようという合意形成が必要だと思います。それにあわせて、地域の中に子育ての拠点をつくることが必要です。

 このように、個人の限界を超えた部分については、社会全体の支えあいの仕組みのなかに、「子ども・子育て」もしっかりと組み込んで欲しい! そんな思いをこめて、2005年4月、私は子育て支援の仲間たちと「4つ葉プロジェクト」を立ち上げました。これは、「社会保障制度の中に、年金や介護、医療と同等に子ども・子育てを加えてほしい」と訴える提言型の活動です。年金制度や介護保険、医療についてもかなりの部分が若い人たちから高齢者世代への仕送りであることを踏まえれば、その若い人たちが負担に感じている子育ての部分に何かしらの社会的な支援が行われるのは、おかしなことではないと思います。それこそ、世代間の支えあいではないでしょうか。

 そのためにはどんな制度づくりがいいのか、いろいろな世代の人たちのご意見をうかがいながら、考えていけたらいいなと思っています。


2007.10.9UP

おばあちゃん力がささえる地域の社会保障

波多間 純子 (ファイナンシャル・プランナー)

ファイナンシャル・プランナー。(株)ライフアンドマネークリニック代表取締役副社長。広島県在住。大手証券会社、税理士事務所を経て独立。ライフプランセミナーの企画運営のほか企業・労働組合の研修にも力を入れる。地方都市でFP業、副社長業、育児をこなす毎日の中で感じる社会保障への思いを語ります。

 広島で家計の相談にのって10余年、家計の状態は年々シビアになっているというのが実感だ。そしてこの不利な状況を各々の家庭レベルでなんとか持ちこたえているのが実情で、その屋台骨をささえるのは「おばあちゃん力」だ。

 おばあちゃん世代である中高齢女性はこれまで主婦として育児と親の介護を行い、子育て後は安い労働力として社会を支え、孫が生まれたらまた世話にいそしみ子世代を支えてきた。さらにはニートの子どもが家にいればその世話もする。すべて「無償」だ。おじいちゃん世代もまた終身雇用制度で得た収入と年金で経済的に子・孫世代を支える。

 そもそも地方のおばあちゃんは日本が貧しかった頃の記憶と世代間扶養がDNAに組み込まれている最後の世代なので驚くべき忍耐力で生活の下支えをしている。自分の田畑で作った農作物を子の家庭に送る人も珍しくない。彼女らの存在により本来の社会保障費はかなりの額節約されているのだ。また、地方では先祖代々の土地を相続することで子世代は住宅費負担を軽くできる。しかしながらこの親から子への一方的な世代間扶養は限界に来ているように感じる。昨今の医療費や保険料の高騰はおばあちゃん世代の余裕を奪う。相談を受けていても自分たちの生活費を考えると子どもに援助はもうできない、同居も使われるだけなのでまっぴらという声を少なからず聞く。おばあちゃんの堪忍袋の緒が切れ、おじいちゃんの財布の紐が閉まったとき、地域の社会保障は一気に崩れ始めるだろう。

 広島県は介護サービスの利用者の大幅な増大で、介護保険料(第一号被保険者)が全国では12番目に高い。一般的に過疎地域ほど保険料が高額になりがちだが、恐らくこの保険料はむしろ人の気持ちの都市化が進んでいることを表しているのではないだろうか。


2007.9.28UP

イギリスの医療

山脇 祐子(イギリス在住)

1967年東京生まれ。自由学園で学ぶ。卒業後、アメリカ留学。オハイオ州Oberlin大学卒業後、1992年イギリス、マンチェスターで就職。中途2年間中国・青島市で暮らしたのを除き現在までイギリスで暮らす。マレーシア華僑の夫、息子2人の4人家族。

 手術が必要、と診断されたらまずどんなことが気になりますか。もちろん何の手術かにもよりますね。イギリスで手術・入院となったらNHS(国民保険)であれば費用の心配は一切必要ありませんが、それでも入院期間が気になる、という人は少なくないようです。大きな理由は『病院ではゆっくり出来ないから』。

 先日、あるラジオ番組でキーホールサージェリーという方法による手術について取り上げられていました。鍵穴ほどの小さい穴から入れた器具で行うこの手術、身体に入れる切込みが小さいので回復も早い、それが一番の利点である、とのこと。実際に胆石を取り出す手術を受けた患者の例をあわせて紹介していました。この人は全身麻酔だったにもかかわらずその日のうちに帰宅。どうやらこのタイプの手術の場合は朝病院に行って手術を受け、何時間かしてから帰宅するケースが普通のようです。何しろ回復の早さについて、『たとえば運転は?』という質問に、『そうですね。手術当日は出来るだけ付き添いに来てもらい、自分では運転して帰らないように言っています』と答えていましたから。患者さん当人もその日のうちに家に帰れたのが嬉しかったと言っていました。

 こちらで手術を受けるに当たり日本との違いを調べた友人によると、日本なら何日か入院するようなキーホールサージェリーでもこちらではその日のうちに退院なのだそうです。私のイギリス人の友人たちはそろいもそろって病院は大嫌い。病院で出産したものの、医師の許可が出次第、ほんの数時間で退院したツワモノもいます。盲腸炎で緊急入院、手術を受けたあとに4日も入院しなくてはいけなかったとぼやいていた友人もいました。ですからそういった友人から見ると、これは喜ばしい進歩なのかもしれません。

 目下、私がイギリスの病院にお世話になったのは長男を出産したときの2泊3日のみです。これは普通分娩の場合の入院期間としては少々長め。出産する前に『長く居たければ1週間ほど入院していてもいいのでしょうか』と質問したら、助産師さんにあきれられてしまいましたっけ。確かに入院してはいても、新生児の沐浴を誰が手伝ってくれるわけでもなく、4人部屋のベッドは次から次に人が変わってせわしなく、『こりゃ自宅の方が気が休まるわい』と退院することにしたのでした。ちなみに病院ではあまりにもかまわれなかったので次男は自宅で出産。入院日数ゼロとなりました。

 いずれにせよ今のところ、自宅でくつろいだ方が身体も早く回復するというのがイギリス人の思うところ、という印象です。とはいえ入院している時間を減らす方向をNHSがとるのはベッド数対策ではあるまいか、というのも正直な感想。何しろベッドの数が足りなくて緊急を要さない手術は何ヶ月も、あるいは何年も順番待ちとも言いますから。

 イギリスに住んで、お産はもとより、子供が口蓋を切る怪我をして全身麻酔で縫ってもらった時も、夫が指のじん帯を切った時もお金はかかりませんでした。近所の診療所でお医者さんに診てもらうのも無料なら、専門医に紹介してもらって病院に行くのも無料。働いている大人は処方箋1通につきいくら、と決まった額を薬局で払いますが、子供やお年よりはそれも免除です。でも医者と患者の間に金銭関係がまるきりないのはいいのか悪いのか、と思う時があります。

 なにしろイギリスの医師はそっけない人が多いのです。しつこい風邪が治らなくて診療所に行っても『あと1週間たっても治らなかったらまたいらっしゃい。風邪は薬を飲んでも治らないんだから』。調子が悪くて病院で検査を受けたい時もまずは診療所に行って医師に相談。ここで『心配するほどのことじゃないから大丈夫』といわれたら病院の方には回してもらえません。私が行く診療所の予約は15分間隔で入れられていますが、場合によっては2分でおしまい。こうあっさり追い返されてしまうのではよほど具合が悪くなくては医者に行く気にもなりません。もちろんこういう医者ばかりとはいえませんが。

 雑誌やテレビの広告を見ていると、最近はイギリスでもプライベートの健康保険がはやり始めている模様。心配な症状についての検査など対処の速さと専門医に見てもらえるまでの期間の短さ、それに関係者の患者に対する親切さが『売り』の様子です。

マンチェスターの大聖堂 雪の公園(Platt Park)

2007.9.21UP

世代間支え合いで年金給付水準維持

高畑 敬一
(NPO法人ナルク会長)

1929年富山県小杉町に生まれる。関西大学経済学部卒業。松下電器産業労働組合委員長を経て役員。定年退職後1994年NPO法人NALCの前身であるWAC・ACを設立。現在さわやか福祉財団理事、大阪府肢体不自由者協会理事長、枚方市社会福祉協議会会長など兼務。

 記録問題で年金が政局の焦点となっているが、国民はむしろ年金の給付水準と負担の方に大きな関心を抱いている。

 ナルクが団塊の世代を中心とする50代〜70代を対象に全国4400人の「定年ビフォア・アフター世代意識調査」を行ったが、それによると定年アフター(60〜70代)で80%、ビフォアで(50代)でも73%が給付水準の引き下げに強く反対している。そして給付水準を維持するためには保険料の値上げでなくて消費税率の引き上げで負担してもよいと答えている。(図参照)

 税率は10%までが多く15%でも許容する回答者が1割強も占めている。但し引き上げには食品や医薬品などの生活必需品は現状維持かゼロにするという条件つきである。年金既得者である60〜70代が団塊世代以下の人たちと同様に引き上げに賛成し、社会全体として負担を分かち合う「世代間共生」の姿勢に注目したい。標準年数保険料を払ってきた人の年金月額23万円は老夫婦がつつましく生活できる最低必需額なのだが、この金額すらもらっていない高齢者が圧倒的に多い。また旅行や文化教養費などをとり入れた「ゆとりある老後生活費」は35万円前後が通説である。

 与野党共に年金の抜本的改革を唱えているがその大前提となるのは現行給付水準の維持である。そしてその財源を明確にすること。とりわけ消費税引き上げのタブーをおそれずに、来たるべき総選挙前に自党案を示してほしい。

 消費税引き上げの前に、税金の無駄使いを徹底的になくす取り組み、生活必需品の引き上げ除外は条件である。

 ゼロ金利時代は終焉し、日本の金利が上がる。若者の人手不足が深刻になってくる。賃金が上昇し正規社員が増え、高齢者の雇用が75歳まで延長される。ライフワークバランスがとれて、出産後退職する女性が激減する。70歳以上の就労者にもパートにも所得に比例して保険料を納めてもらう。以上全て計算に入れると膨大な新財源になる。消費税率引き上げの前に、ぜひ合算検討してほしい変化の課題である。


2007.9.15UP

自分で確認しよう!年金加入記録

望月 厚子(ファイナンシャル・プランナー)

ファイナンシャル・プランナー、望月FP社会保険労務士事務所代表。1967年東京都生まれ。大手生命保険会社、独立系FP会社を経て、フリーに。現在は相談業務(公的年金、保険、住宅ローン、金融商品など)、原稿執筆、セミナーに従事。「社会保障というと難しい感じがしますが、私たちの暮らしと密接に関わる大切なテーマだと思います」

 「本当に年金はもらえるの?」「私の年金加入記録の漏れはありませんか?」という声を多くの年金相談者から聞きます。


 「5000万件の消えた年金」と報道された年金加入記録問題。この問題は公的年金制度に対する私たちの信頼を失墜させました。さらに、社会保険庁職員による年金保険料の着服や不正受給、ずさんな年金加入記録の管理体制など次々に明らかになる事実に対して批判や怒りの声が上がったのは当然のことです。


 現在、日本に住む20歳以上60歳未満の人はすべて、公的年金に加入する義務があります。公的年金は原則25年以上加入し、初めて年金受給資格を得られます。


 年金加入記録は年金受給資格に関する大切な情報ですが、最近まで、私たち年金加入者に対して国からの定期的な情報提供はありませんでした。


 問題発覚後、多くの人々が年金加入記録の確認のため、社会保険事務所の窓口などに殺到しました。年金加入者は、年金加入記録を自分自身で確認し、加入期間漏れなどが見つかれば、調査や訂正を依頼し、場合によっては「証拠の提示」もしなければならないと初めて知ったわけです。


 今まで、公的年金制度は国に「任せている」あるいは国が「管理している」という感がありました。しかし、公的年金の受給資格は、保険料を納めている人にとっての権利なのですから、国に任せきりにせず、自分自身で管理しなければならないという認識を持つべきです。

 
 1度失われた公的年金制度に対する信頼は容易に回復することはできません。しかし、多くの人にとって、公的年金は必要不可欠な制度です。この問題の原因の解明、責任の所在の明確化など課題は山積みです。そして、まだ誰のものか分からない年金加入記録が多数あります。国は、最後の1件まで誰のものであるかを確認しなければならないのは当然の責任であり、私たちはその確認作業を見届ける義務があると思います。

2007.9.15UP

働きたいのに働けない若者の現状

古賀和香子
(特定非営利活動法人「育て上げ」ネット・たちかわ若者
サポートステーション責任者)

児童養護施設やフリースクールで子どもの自立支援に携わりながら、社会福祉士の資格を取り、2005年から「育て上げ」ネットで若者の就労支援をやり始める。10月から「たちかわ若者サポートステーション」(厚生労働省委託事業)の所長として運営や現場支援を行っている。
NPO法人「育て上げ」ネット・ホームページはこちら

 現在、私は、NPO法人「育て上げ」ネットが行っている若者就労支援に携わっている。最近、「ニート」という言葉が、メディアなどで大きく取り上げられているが、その言葉からは、「やる気がない、怠惰な若者」というイメージが先行してしまい、本来の意味や問題性については、あまり知られていない。「ニート」とは、いわゆる就労や就学をしていなく、社会のどこにも所属をしていない未婚の若者のことを指す。内閣府によると、その数は85万人に上るといわれている。その中でも、私たちの相談窓口に来る「ニート」状態の若者の多くは、働きたいと思っていても、様々な理由から、働けずに悩んでいる。一般的に仕事に就くためには、ハローワークに通って仕事を探せばいいと考えられるが、彼らは、精神的に病んでいたり、学校や仕事での失敗体験などから自信を喪失し、社会に入ることに不安を強く感じていたり、また仕事経験がほぼないに等しいため、ハローワークにも行けない。


 私たちの就労訓練プログラムでは、毎日、朝10時から17時まで、若者数人にスタッフが付いて一緒に作業をする。その作業内容は農業、ビル清掃、会社事務など、多種の職種に渡る。このプログラムを、早い人は三ヶ月、また時間がかかる人は一年ほどかけてこなすことで、当初は、ほとんど自分から話せなかったり、作業もスタッフから指示されたことしかできなかったりする若者が、立派に就労し、ニート状態から脱出する。仕事に就いた後は、辞めたいと感じた時に相談できるスタッフや仲間ができたということもあり、簡単に辞めてしまうことはない。彼らにとって、当団体のような就労支援プログラムは仕事に就くために必要であり、かつ有効なのである。


 ただ、一つ問題点がある。このプログラムには、費用がかかる点である。プログラム費を、働いていない若者本人が払えないため、必然的に保護者が負担することとなる。そのため、就労訓練を受けたくても、通える人は、保護者が支払えることという条件が出る。そこで、普段、若者と接していて感じることは、彼らに対して、就労訓練費やその期間の生活費を保障する制度があると、更に多くの若者に就労へのチャンスをもたらすことができるのではないかということである。現在の社会保障制度は、主に「働いている人」を対象にしたものになっているが、働く以前の状態の若者に対する保障制度を充実化させていくことも必要ではないだろうか。